【飯塚事件】第2次再審請求も棄却:死刑執行後の真実と司法の重責を問う
ニュース要約: 1992年の飯塚事件をめぐり、福岡高裁は久間三千年元死刑囚の第2次再審請求を棄却しました。DNA鑑定の精度や目撃証言の信頼性が揺らぐ中、死刑執行後の再審という極めて重い司法課題が浮き彫りとなっています。遺族側は最高裁へ特別抗告する方針で、科学捜査の限界と公正な裁判の在り方が今改めて問われています。
【深層レポート】飯塚事件が問い続ける「司法の重責」――久間三千年元死刑囚の第2次再審請求棄却を受けて
1992年に福岡県で発生した「飯塚事件」をめぐり、日本の司法制度が再び大きな岐路に立たされている。2026年2月16日、福岡高等裁判所(溝国禎久裁判長)は、殺人罪などで死刑が確定し、2008年に執行された久間三千年(くま・みちとし)元死刑囚(執行時70歳)の第2次再審請求控訴審において、再審開始を認めない決定を下した。元死刑囚の遺族が求めていた裁判のやり直しは、再び扉を閉ざされた形だ。
飯塚事件とは:34年前の惨劇と一貫した否認
「飯塚事件とは何か」を語る際、避けて通れないのは1992年2月20日の記憶だ。福岡県飯塚市で小学1年生の女児2人が登校途中に失踪。翌日、同県甘木市(現・朝倉市)の峠道で遺体となって発見された。日本中を震撼させたこの誘拐・強姦殺人事件において、捜査線上に浮上したのが久間三千年氏だった。
1994年の逮捕から一貫して無罪を主張し続けた久間氏に対し、1999年の福岡地裁は死刑を宣告。2006年の最高裁で刑が確定し、そのわずか2年後の2008年、当時の森英介法相の命により死刑が執行された。確定から執行まで2年という異例の速さは、当時から「再審準備を封じ込める政治的意図があるのではないか」との疑念を呼び、社会に波紋を広げた。
揺らぐ「有罪の柱」:DNA鑑定と目撃証言の信頼性
今回の再審請求棄却に至る過程で、弁護団が最も激しく訴えていたのは、有罪判決の根拠となった証拠の「脆さ」だ。
第一の論点は、DNA型鑑定である。当時採用された「MCT118法」は、後に冤罪が判明した「足利事件」と同じ手法だった。現在の技術と比較すれば精度が著しく低く、当時の裁判所ですら「犯人と断定はできない」と認めながらも、他の状況証拠と組み合わせて有罪を認定した。科学の進歩が過去の鑑定結果を否定しつつある今、その証拠能力をどう評価すべきかが問われている。
第二の論点は、目撃証言の変遷だ。事件当日、現場付近で久間氏のワゴン車に似た車両を見たとする証言が有罪の大きな柱となった。しかし、再審請求の過程で、重要な目撃者の一人が「警察に誘導される形で調書が作られた。自分の記憶とは異なる」という趣旨の証言翻事(翻意)を行った。弁護団はこれを「新証拠」として提出したが、裁判所は「信ぴょう性が低い」として退けている。
「死刑執行後」という重い足枷
飯塚事件が日本の司法に与えた衝撃は、これが「死刑執行後に争われている再審請求」であるという点に凝縮されている。万が一、再審で無罪が確定した場合、国家が取り返しのつかない「誤判」によって個人の命を奪ったことを意味するからだ。
日本弁護士連合会(日弁連)などは、本事件を契機に再審法の改正や、死刑執行の慎重化を強く求めてきた。しかし、今回の福岡高裁の決定は、結果として「一度確定した判決を覆すこと」の高い壁を改めて示すこととなった。溝国裁判長は、地裁の棄却判断を支持し、弁護団が提示した新証拠が確定判決を揺るがすには至らないと結論づけた。
終わらぬ疑念と、未来への課題
決定を受け、久間三千年元死刑囚の遺族と弁護団は「真実の究明から目を背けている」と司法を厳しく批判。最高裁へ特別抗告する方針を固めている。すでに刑が執行された以上、久間氏本人が法廷に立つことは二度とない。しかし、証拠の不備や捜査手法の適切性が問われ続ける限り、この事件に「終止符」が打たれることはないだろう。
科学捜査の限界と、供述に頼る捜査の危うさ。そして、命を天秤にかける司法の重責。飯塚事件は、30年以上の時を経てもなお、私たち日本社会に「公正な裁判とは何か」という根源的な問いを突きつけている。 (新聞記者・J.S.)
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