2025年も残すところあとわずかとなりました。激動の1年を締めくくる本日12月30日、日本国内外の動きを振り返るニュースをお届けします。
まず経済・政治の分野では、大きな節目を迎えています。高市早苗首相は本日、日経平均株価が5万円台という歴史的な水準を維持したまま大納会に出席し、2025年の市場を総括しました[13]。高市政権については、経済学者の成田悠輔氏も、AIによる「無意識民主主義」やデータ駆動型の「招き猫アルゴリズム経済」といった独自の視点から、日本社会の構造変革と22世紀への展望について提言を行っており、若年層を中心に注目を集めています[1]。一方で、生活に密着した金融サービスでは紙の通帳の有料化が加速。デジタル化の波に取り残されがちな高齢者層との「金融格差」が、今後の社会課題として浮き彫りになっています[27]。
エンターテインメント界では、レジェンドの引退や別れのニュースが続いています。紅白歌合戦に38回出場した郷ひろみさんが、今年限りでの勇退を表明。「ミャクミャク」が躍動する大阪・関西万博へとバトンを渡す形となりました[18]。また、落語家・初代林家三平さんの妻として一門を支え、戦後一貫して平和を訴え続けた海老名香葉子さんが92歳で逝去されました[26]。昭和を代表する女優・大原麗子さんも没後15年を迎えましたが、デジタルリマスター映像などを通じてその「女優魂」が再び脚光を浴びています[14]。
一方で、新たな挑戦を始めるスターたちもいます。二宮和也さんは個人事務所「オフィスにの」を拠点に、独立後初の主演映画や朝ドラ出演、さらには嵐の再始動に向けた活動など、42歳を迎えてなお精力的な活躍を見せています[2]。また、タレントのフワちゃんは炎上による活動休止を経て、なんと女子プロレスラーとして両国国技館で再デビュー[3]。彼女が参戦する「スターダム」は2026年の東京ドーム進出を決定しており、女子プロレス界に新たな風を吹き込んでいます[20]。
スポーツ界に目を向けると、明日の大晦日にさいたまスーパーアリーナで開催される「RIZIN 師走の超強者祭り」に注目が集まっています。朝倉未来選手の王座挑戦を含む5大タイトルマッチは、地上波放送なしの完全PPV形式という次世代のビジネスモデルで挑みます[7][10]。プロ野球界では、オリックスの連覇を支えた福田周平選手が引退を表明[15]。一方で、戦力外通告を受けた山本大貴投手や北村拓己選手が、家族の支えを糧に再起をかけて現役続行を宣言する姿がファンの心を打っています[16][19]。
新年に向けては、スイーツパラダイスが実施する「お雑煮と高級フルーツの食べ放題」[6]や、人気占い師の星ひとみさん、ゲッターズ飯田さんによる2026年の運勢予測が話題です[8]。ゲーム界では「モンスターストライク」の新春ガチャに新限定キャラ「リンネ」が登場し、ファンは準備に余念がありません[22]。
しかし、年末の平和を揺るがす事件も起きています。東京・高田馬場のエステ店で女性が刺された事件では、中国籍の男が殺人未遂容疑で逮捕される方針です[23]。国外では、元ボクシング世界王者のアンソニー・ジョシュア氏がナイジェリアで交通事故に遭遇し、2名が死亡する惨事となりましたが、本人は軽傷と伝えられています[5]。また、中台関係は経済的依存と軍事的緊張が交差する複雑な状況のまま、2026年の台湾統一地方選挙へと向かっています[24]。
行く年来る年。ドラマ『豊臣兄弟!』での白石聖さんの抜擢[9]や、阿部寛さん主演の極限サスペンス映画『ショウタイムセブン』の公開[28]など、2026年も多くの話題が私たちを待っています。来るべき新年が、皆様にとって希望に満ちたものになることを願って、本日のニュースまとめを締めくくります。
大原麗子、没後15年目の真実―「孤高の美」とギラン・バレー症候群との壮絶な闘い
ニュース要約: 昭和を代表する大女優・大原麗子の没後15年を機に、その波乱の生涯を再検証。サントリーCMで国民的人気を博す一方、難病ギラン・バレー症候群や二度の離婚、そして2009年の孤独死という壮絶な舞台裏に迫ります。2025年現在、デジタルリマスター映像を通じて若い世代からも再評価される、彼女の「女優魂」と不朽の美しさを詳述します。
大原麗子、没後15年を経て再評価される「孤高の美」―ギラン・バレー症候群との闘いと孤独死の真実
2009年8月3日、日本を代表する女優・大原麗子が62歳で自宅にて不帰の人となった。推定死因は不整脈による脳内出血。発見は約3日後、ベッド脇で静かに息を引き取っていた姿だった。あれから15年以上が経過した2025年現在、彼女の代表作や映像美が再び注目を集めている。サントリーレッド「すこし愛して、ながく愛して」のCMで国民的イメージを確立した昭和の大女優は、なぜ孤独な最期を迎えたのか。その波乱の生涯を振り返る。
六本木野獣会から銀幕へ―華やかなデビューと格差婚
1946年11月13日、東京都文京区の老舗和菓子屋の娘として生まれた大原麗子(本名:飯塚麗子)は、潤徳女子中学校・北豊島高等学校を卒業後、六本木のイタリア料理店「キャンティ」を拠点とする「六本木野獣会」に所属。デビュー前からその美貌と名前は芸能界で知れ渡っていた。1964年、東京放映社長・大野直にスカウトされ、NHKドラマ『幸福試験』でデビュー。翌年東映入社後は『非行少女ヨーコ』(1966年)で注目を集め、高倉健主演『網走番外地 荒野の対決』などの作品に出演した。
甘いハスキーボイスと端正な顔立ち、そして不良少女役での演技が評価され、順風満帆なキャリアを築いた大原だが、私生活では27歳で俳優・渡瀬恒彦と結婚。1970年の映画『三匹の牝蜂』での共演がきっかけで、東映のトップスター大原と下積み役者だった渡瀬による「格差婚」は話題を集めた。しかし、結婚生活は5年で終わりを告げる。1978年2月の離婚後も大原は「渡瀬のことが好きだった」と語り、子宮外妊娠で胎児を失った悲しみを抱え続けた。
サントリーレッドCMと「お嫁さんにしたい女優」像の確立
大原麗子の名を不動のものにしたのが、1980年から1990年まで放送されたサントリーレッド「すこし愛して、ながく愛して」のCMである。和服姿で夫に健気に尽くす妻を演じた15秒の映像は、かすれた声とぷっと頬を膨らませた表情で視聴者の心を掴んだ。監督の「自分の好きなようにやってみて」という指示に応じた自然体の演技は、弟の証言によれば「素の大原麗子そのもので、演技じゃない」ものだった。
このCMは1980年のサントリーオールド世界一販売記録を後押しし、大原を「お嫁さんにしたい女優」ランキング上位に押し上げた。テレビタレントイメージ調査では女性部門で13度1位を獲得するなど、国民的女優の地位を確立。映画『男はつらいよ』シリーズのマドンナ役や大河ドラマ『春日局』など80本以上の作品に出演し、1992年NHK『チロルの挽歌』では高倉健の妻役でギャラクシー賞奨励賞を受賞、「生涯の代表作」と自負した。
ギラン・バレー症候群との壮絶な闘病生活
しかし華やかなキャリアの裏で、大原は難病との闘いを強いられていた。1975年、28歳頃に免疫異常による手足麻痺を引き起こすギラン・バレー症候群を発症。約9ヶ月半の入院治療を経て復帰したものの、後遺症として手足の自由な動きが制限され、転倒・骨折を繰り返す生活となった。専門家は「再発は稀」としながらも、1999年から2000年頃には再発を主張して芸能活動を休止。左目整形失敗後の引きこもり生活も重なり、転倒事故が多発した。
晩年の2008年から2009年にかけては、転倒による右手首骨折、乳がん手術歴、母親介護が重なり、薬物過多摂取で心身が崩壊。仕事への執着は「死ぬまで限界がない」と語り続けたが、身体的・精神的に追い詰められていった。うつ病も併発し、友人への不満電話が増加。マネージャーも離脱し、仕事オファーも激減した。森進一との再婚(1980年)も4年で破局し、「家庭に男が2人いた」と離婚会見で振り返るなど、愛を求めつつ孤独を深めていった。
没後15年、再評価される映像美と女優魂
2009年の孤独死後、メディアは一時「悲運の女優」として報じたが、2012年頃から雑誌特集で「自ら孤高を選んだプロフェッショナル」としてポジティブに再解釈されるようになった。2019年には浅丘ルリ子の証言で病歴が明らかになり、精神的美が映像と結びついて再注目。2025年現在、SNSやファン論評で代表作クリップが拡散され、高解像度リマスター映像により鼻筋のシャープさや光の当たり方の美しさが強調され、若い世代の再評価を促している。
お別れの会には元夫の渡瀬恒彦と森進一が参列し、「愛の残り火」を感じさせた。渡瀬との結婚時に購入したウエディングドレスは捨てられず、友人預かりの末に寺に納められたという。子供はいずれの元夫ともなかったが、弟の大原政光が公私で支え続けた。
大原麗子の生涯は、華やかな銀幕の世界と難病との闘い、そして孤独という対照的な要素が交錯した波乱万丈なものだった。しかし彼女が残した映像美と女優魂は、没後15年を経た今も色褪せることなく、時代を超えて輝き続けている。「すこし愛して、ながく愛して」――そのフレーズと共に、大原麗子は今もなお、多くの人々に愛され続けているのである。