2025年も残すところあとわずかとなりました。激動の1年を締めくくる2025年12月30日、日本国内では政経、スポーツ、そして芸能界に至るまで、時代の移り変わりを象徴するニュースが次々と飛び込んできています。
もっとも注目を集めているのは、高市早苗首相の動向です。本日、高市首相は東京証券取引所の大納会に出席し、日経平均株価5万円台という歴史的な高水準を維持した今年の市場を総括します[1]。また、夫の山本拓氏と共にバリアフリー化された公邸への入居を完了。職住近接による危機管理体制を万全なものとし、2026年のAI・防衛関連株のさらなる成長を見据えた安定した国家運営への意欲を示しています[1]。
経済面ではデジタル化の波が私たちの生活に変化を強いています。大手銀行を中心に紙の預金通帳の有料化が加速しており、コスト削減が進む一方で、デジタル移行が困難な高齢者層との「金融格差」が深刻な課題として浮き彫りになっています[15]。また、国外に目を向けると、中台関係は経済的な相互依存と軍事的な緊張が背中合わせの状態にあり、これが2026年の台湾統一地方選挙や東アジアの安全保障にどう影響するかが注視されています[12]。
スポーツ界では、一つの時代を築いた選手たちの去就が話題です。オリックス・バファローズのリーグ連覇をリードオフマンとして支えた福田周平選手が、33歳での現役引退を表明しました[3]。一方で、戦力外通告という厳しい現実に直面しながらも、ヤクルトの山本大貴投手や北村拓己内野手は、家族の支えを糧に再起をかけて現役続行を宣言しており、その執念に多くのエールが送られています[4][7]。また、女子プロレスのスターダムは2026年の東京ドーム進出を決定するなど、新たな黄金時代の到来を予感させています[8]。
エンターテインメント界では、年末恒例の「紅白歌合戦」を前に、38回の出場を誇るレジェンド・郷ひろみさんが今年限りでの勇退を発表しました[6]。大阪・関西万博のキャラクター「ミャクミャク」が新時代の象徴として躍動する中、昭和から令和を駆け抜けたスターが静かにバトンを渡そうとしています[6]。また、お笑い界では「検索ちゃん」20周年特番が、爆笑問題やM-1勢、そして12年ぶりに漫才復帰したタカアンドトシらの熱演により「神回」としてSNSを席巻しました[5]。
その一方で、惜別のニュースも届いています。東京大空襲を生き抜き、戦後一貫して平和の尊さを訴え続けた「林家一門の母」海老名香葉子さんが92歳で逝去されました[14]。また、没後15年を迎えた大女優・大原麗子さんの壮絶な生涯も再び光を浴び、その不朽の美しさが世代を超えて語り継がれています[2]。
身近な事件としては、昨日、高田馬場のエステ店で女性が刺される事件が発生しましたが、殺人未遂容疑で中国籍の男が千葉県内で確保され、警察による全容解明が進められています[11]。
年末年始を彩る話題も豊富です。元旦から開催される「モンスターストライク」の新春ガチャでは新限定キャラ「リンネ」が登場し、ファンはオーブの確保に余念がありません[10]。また、阿部寛さん主演の極限サスペンス映画『ショウタイムセブン』が報道の在り方を問いかけ、話題を呼んでいます[16]。年越しを海外で過ごす方には、氷点下10度を下回る極寒のソウルでのカウントダウンガイドが注目されています[9]。
最後に、プロ雀士でMリーグ実況でもおなじみの松嶋桃さんが第1子妊娠を報告するという、心温まるニュースも舞い込みました[13]。
激しさを増す変化と、守り継がれる伝統。2025年の瀬戸際において、私たちは新しい年への確かな足音を、これらのニュースの中に聞き取ることができます。
海老名香葉子さん逝去、92年の生涯に幕。東京大空襲を生き抜き平和を訴え続けた「林家一門の母」
ニュース要約: 落語家・初代林家三平の妻でエッセイストの海老名香葉子さんが2025年12月24日、老衰のため92歳で逝去しました。東京大空襲で家族6人を失った壮絶な体験から、絵本『うしろの正面だあれ』や「時忘れじの塔」の建立を通じて戦後一貫して平和の尊さを発信。林家正蔵や二代目三平ら一門を支え抜いた、江戸っ子気質の波乱万丈な生涯を振り返ります。
海老名香葉子さん逝去、92年の生涯に幕――戦火を生き抜いた江戸っ子の平和への遺言
落語界の名門を支え続けた母、家族葬で見送られる
落語家・初代林家三平の妻でエッセイスト、平和運動家として知られた海老名香葉子さんが2025年12月24日午後8時38分、老衰のため東京都内で死去した。92歳だった。長男で九代目林家正蔵が喪主を務める家族葬が12月29日に執り行われ、次男の二代目林家三平、長女の海老名みどり、次女の泰葉ら家族が参列し、静かに見送った。
正蔵は公式サイトで「母 香葉子 クリスマスイヴの晩 穏やかに旅立ちました 終戦からの激動の時を強く生きていきました 根っからの江戸っ子 情に厚く 涙もろく 真っすぐな気性 九十二歳の大往生でした」と追悼の言葉を発表。戦後の焼け跡から林家一門を支え、平和の尊さを訴え続けた母の生涯を振り返った。
東京大空襲の記憶――家族6人を失った少女の誓い
海老名香葉子さんの人生は、1945年3月10日の東京大空襲によって大きく変わった。わずか12歳の少女だった香葉子さんは、一夜にして父母、弟2人、妹、祖母の家族6人を失った。自身も炎に追われながら隅田川に飛び込み、九死に一生を得た。
この壮絶な体験は、彼女を生涯にわたる平和運動へと駆り立てた。1985年に出版した絵本「うしろの正面だあれ」は、自身の体験を子どもたちに伝える作品として大きな反響を呼び、1991年にアニメ映画化された。1997年のエッセー「半分のさつまいも」も2005年にアニメ化され、戦争の悲惨さを次世代へ語り継ぐ重要な作品となった。
「時忘れじの塔」に込めた平和への祈り
2005年、香葉子さんは私財を投じて東京・上野恩賜公園内に「時忘れじの塔」を建立した。東京大空襲の犠牲者を追悼し、戦争の記憶を風化させないための慰霊碑だ。以来、毎年「時忘れじの集い」を開催し、戦争体験者や平和を願う市民が集った。
2025年3月の東京大空襲80年集会では、「小さな声でも上げて」と平和を訴え、自ら作詞した歌が参加者によって合唱された。同年8月の集いでは車椅子姿で参加し、漫画家のちばてつや氏らとともに出席。高齢で話すのが困難な状態ながら、代読された言葉には「戦争の悲惨さ、愚かさを次の世代に伝えていくためにも、これからも頑張っていこうと思います」という力強いメッセージが込められていた。それが、公の場での最後の呼びかけとなった。
林家一門を支えた女将の半生
1956年、香葉子さんは落語家の初代林家三平と結婚。以来、落語界の名門を支える女将として、家族と一門の世話に奔走した。1980年に夫が54歳の若さで急逝した後も、気丈に林家一門を支え続けた。
正蔵、三平、みどり、泰葉の4人の子どもたちを育て上げ、孫も6人を数える。長男・正蔵の息子である林家たま平、林家ぽん平は落語家として、長女・みどりの長男・下嶋兄はタレントとして活躍するなど、落語とエンターテインメントの血統は確実に受け継がれている。
2025年11月29日、正蔵は令和7年度文化庁長官表彰を受賞。12月10日には落語協会の早朝寄席復活プロジェクトを主導し、12月15日には横浜にぎわい座で第十六回林家正蔵一門会を開催した。林家なな子の真打昇進を祝うこの会は、林家ぽん平、林家つる子、林家たけ平ら多士済々の一門が集結し、海老名家の落語家血統の継承を示す場となった。母・香葉子の逝去直前まで、息子は伝統芸能の発展に尽力していた。
家族の絆、時に試練も乗り越えて
海老名家は過去に家族内の確執が報じられたこともあった。2000年代初頭、みどりが峰竜太との結婚記者会見で母を批判したことをきっかけに姉妹関係が疎遠になり、母娘も含めて家族がバラバラになった時期があった。
しかし2009年、二代目林家三平の襲名パーティーで転機が訪れた。泰葉が母・香葉子と和解し、みどりとも4年ぶりに再会。家族全員が勢揃いし、談笑する姿が確認された。2011年の東日本大震災慰問活動や2012年の三平33回忌でも家族が集まり、絆を深めていった。
国分佐智子さん(三平の妻)は、かつて香葉子さんを「お気に入り」と語っていたエピソードが残されている。嫁たちの支えを受けながら、香葉子さんは家族の和を取り戻すことに心を砕いた。
江戸っ子の遺志、次世代へ
「根っからの江戸っ子 情に厚く 涙もろく 真っすぐな気性」――正蔵が表現した母の姿は、戦火を生き抜き、夫を失いながらも一門を守り、平和を訴え続けた92年の人生そのものだった。
海老名香葉子さんの逝去は、昭和から令和へと続く戦争体験者の証言がまた一つ失われたことを意味する。しかし、「時忘れじの塔」は今後も上野の地に立ち続け、絵本や映画は子どもたちに語り続ける。そして林家の名は、正蔵、三平、そして孫たちへと受け継がれていく。
クリスマスイブの晩に穏やかに旅立った香葉子さん。その生涯は、戦争の悲惨さと平和の尊さ、家族の絆の大切さを、私たちに静かに、しかし力強く問いかけている。