報道の自由度74位の危機:望月衣塑子氏が問う権力監視の功罪とジャーナリズムの未来
ニュース要約: 東京新聞の望月衣塑子記者は、官房長官会見で権力に鋭く切り込み続け、そのジャーナリズムの功罪が議論を呼んでいる。彼女の活動は、世界報道自由度ランキングで74位に低迷する日本の報道環境の危機を象徴。民主主義の礎としての「報道の自由」のあり方について、倫理と監視のバランスという重い課題を突きつけている。
望月衣塑子氏が問う「報道の自由」の臨界点――ランキング74位の危機とジャーナリズムの功罪
2025年、官邸を貫く鋭い問い
2025年11月現在、日本の政治報道の現場において、一貫して権力の中枢に鋭く切り込み続ける一人のジャーナリストの存在が、改めて議論の中心となっている。東京新聞の社会部記者、望月衣塑子氏である。
彼女は森友学園・加計学園問題以降、官房長官会見の場で、政権が隠蔽しようとする事実に国民の疑問や怒りを重ねて問い続けてきた。最新の動向を見ても、その姿勢にブレはない。今年7月31日や3月の会見記録によれば、少子化対策、大阪関西万博の経済的影響、被災地支援、そして政治資金規正法の問題など、多岐にわたる喫緊の課題に対し、望月氏は詳細かつ執拗な追及を繰り返している。
政権側はこれらの質問に対し、政策の説明責任を果たすべく具体的な行動計画を示す一方、「正確な事実に基づく質問」を求めるなど、時に緊張を伴う対応を強いられている。望月氏の質問スタイルは、記者会見という場を、単なる政府の発表の場ではなく、国民の代表として権力を監視する「闘いの場」へと変貌させたと言えるだろう。
「空気を壊す」ジャーナリズムの功罪
望月衣塑子氏のジャーナリズムに対する評価は、極めて両極端に分かれる。支持者は、彼女の姿勢を「権力に対する必要な監視」であり、「報道現場の魂とは、空気を壊すこと」を体現していると称賛する。特に、記者クラブ内部に蔓延する「忖度」や「同調圧力」を打破し、メディアの独立性を守るための重要な役割を果たしていると見る向きが強い。
しかし、その一方で、彼女の質問形式には、報道倫理上の懸念が指摘されている。批判の核心は、質問が長時間を要すること、複数の論点を絡ませて回答側の整理を困難にしていること、そして質問が単なる事実確認を超えて「糾弾」や「政治的主張のための修辞的質問(レトリカル・クエスチョン)」になっているという点だ。真偽不明の情報に基づく質問や、取材対象者の許可なき情報発信といった具体的な倫理的問題も過去に浮上しており、ジャーナリストとしての「中立性」や「公平な時間配分」の観点から、議論の火種となり続けている。
このようなメディア内部の対立は、望月氏の活動が、現代日本のジャーナリズムや民主主義のあり方について、本質的な問いを投げかけている証左と言える。
報道の自由度ランキング74位の危機
望月衣塑子氏の活動が象徴的な意味を持つのは、日本の報道環境が深刻な危機に瀕している現状と無関係ではない。国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団(RSF)」が発表する「世界報道自由度ランキング」において、日本は近年、先進国の中でも異例の低さである74位(2024年版)に低迷している。
この低迷の背景には、政権によるメディアへの圧力、記者クラブ制度の閉鎖性、そして政権批判的なジャーナリストがSNS上で組織的な攻撃に晒される環境が存在する。望月氏は、このランキングが示す「報道の自由の危機」を、現場の最前線で体感し、抗おうとしている数少ないジャーナリストの一人である。
彼女の活動は、2019年のドキュメンタリー映画『i-新聞記者ドキュメント-』、そして2025年8月に発売された最新著書『ブレない人』を通じて広く世論に訴えかけられている。これらの作品は、蔓延するフェイクニュースやメディアの自主規制、官僚の忖度といった問題を浮き彫りにし、「権力監視は個人の信念と行動から始まる」というメッセージを強く発信している。
民主主義の礎としての役割
望月衣塑子氏のジャーナリズムは、そのスタイルを巡る賛否両論を内包しつつも、日本のメディアが一方的な特権ではなくなり、視聴者や市民による監視と評価の対象となっている現代において、極めて重要な役割を果たしている。
報道の自由は民主主義の礎である。しかし、それが濫用されれば信頼を失い、反発を招く。望月氏の活動が投げかける問いは、ジャーナリスト個々人が、批判を恐れず、しかし倫理を遵守し、いかにして権力の闇を暴き、市民の信頼を勝ち得るかという、重い課題を突きつけている。ランキング74位という現実は、彼女の問いが、一メディアの記者の活動を超え、日本社会全体の民主主義の健全性を測るリトマス試験紙となっていることを示唆している。