菅田将暉×三谷幸喜『もしがく』が問う、蜷川幸雄の「演劇の魂」と伝承
ニュース要約: 三谷幸喜脚本のドラマ『もしがく』は、菅田将暉が蜷川幸雄に憧れる若き演出家を熱演し、演劇の根源的テーマを問う。1984年の渋谷を舞台にした本作は、市原隼人の熱演に加え、第9話で小栗旬が蜷川役としてサプライズ出演。伝説的な演劇人の遺産が現代のトップアクターを通じて次世代へ伝わる様子を象徴的に描いている。
演劇の魂はどこへ向かうのか:三谷幸喜脚本『もしがく』が問う「蜷川幸雄の遺産」
伝説の精神を継ぐ若者たち:菅田将暉と市原隼人が挑む演劇群像劇
2025年秋の連続ドラマとして、フジテレビ系で放送中の水曜22時枠『もしもこの世が舞台の、楽屋はどこにあるのだろう』(通称:もしがく)が、演劇界のレジェンド、故・蜷川幸雄氏の精神を現代に問い直す作品として大きな話題を呼んでいる。主演の菅田将暉が若き演出家を熱演し、共演の市原隼人が舞台に魅了された青年を演じる本作は、単なる青春ドラマに留まらず、芸術と人生の根源的な関係を探る哲学的な深みを持つ。
脚本を手掛けるのは三谷幸喜氏。自身の青春時代の演劇体験を基にしたという完全オリジナルストーリーは、昭和59年(1984年)の渋谷を舞台に、理想のシェイクスピア劇を創ろうと奮闘する若者たちの情熱と葛藤を描き出す。タイトルの「この世が舞台の楽屋はどこにあるのだろう」という問いかけ自体が、人生と虚構の境界線を示すかのようだ。
菅田将暉が体現する「蜷川イズム」の光と影
主人公・久部三成を演じる菅田将暉は、横暴なまでに理想主義を貫く演出家として、その演技の幅をさらに広げている。久部は、伝説的な演出家である蜷川幸雄に強く憧れ、その革新的な精神を継承しようともがく。
菅田将暉 ドラマ出演作の中でも異彩を放つ本作において、彼の演技は、芸術に対する純粋な情熱と、周囲との衝突を繰り返す孤独なカリスマ性を、説得力を持って描き出している。特に、シェイクスピア劇の現代的解釈に挑む久部の姿は、1970年代以降、伝統と革新を融合させ、日本の演劇界に革命をもたらした蜷川幸雄氏の軌跡と重なる。
一方、市原隼人演じるトニー安藤は、劇団の舞台に惹きつけられ、演技に没頭していく青年だ。用心棒という裏の顔を持ちながら、舞台の上ではひたむきに役と向き合うトニーの姿は、視聴者の心を強く打つ。第9話で描かれた、警察に連行される直前の渾身の芝居や、舞台裏での自主練習のシーンはSNS上でも大きな反響を呼び、市原隼人の持つ独特のギャップと切なさが、物語の情感を深めている。
サプライズ出演に見た、師弟の絆と演劇の伝承
本作が演劇ファン、そして一般視聴者に強烈な印象を与えたのは、第9話でのサプライズ演出だろう。久部三成が憧れる実在の名演出家・蜷川幸雄役として、俳優の小栗旬氏が登場したのだ。
小栗氏は、20歳の頃に蜷川幸雄氏演出の「ハムレット」に起用されて以来、数多くの蜷川作品に出演し、深い師弟関係を結んでいたことで知られる。小栗氏自身、「自分の中にある蜷川さんの面影を追いかけるように演じた」とコメントしており、このキャスティングは単なる話題作りではなく、蜷川幸雄氏が遺した演劇哲学と情熱が、現代のトップアクターたちを通じて次世代へと確かに伝承されていることを象徴している。
ドラマは、久部と蜷川(小栗旬)の対面を通じて、舞台芸術の厳しさ、そして役者としての挑戦の重みを視聴者に強く訴えかける。小栗氏が体現した蜷川の熱い演劇論は、もしがくの登場人物たちにとっての精神的支柱となり、物語を牽引する重要な要素となっている。
舞台と人生の楽屋を巡る問い
『もしもこの世が舞台の、楽屋はどこにあるのだろう』は、1980年代という時代背景を通して、芸術が持つ根源的な力を描いている。若者たちが抱える理想と現実のギャップ、そして、舞台上で「虚構」を演じることによって「真実」の人生を見出していく過程は、現代社会を生きる私たちにとっても共感を呼ぶ。
菅田将暉、市原隼人ら実力派俳優陣が、蜷川幸雄氏という偉大な演劇人の精神を背景に、舞台芸術の革新と伝統の融合を試みる。三谷幸喜氏の緻密な脚本と、出演者たちの熱演が相まって、本作は単なるエンターテイメントを超え、演劇の魂がどこに向かうのか、そして人生という舞台の幕が下りたとき、私たちはどこに安らぎを見出すのか、という深遠なテーマを問い続けている。
(共同通信社 芸能文化部 記者 S.K.)