マルイシティ横浜、61年の歴史に幕。ECに敗れた都心型店舗の苦悩と商業地図の激変
ニュース要約: 横浜駅東口のマルイシティ横浜が2026年2月末、61年の歴史に幕を下ろす。EC普及による業績不振が主因で、都心型大型店のあり方に疑問を投げかけている。売上は半減し、ホビー・エンタメ系への業態転換も時代に対応できなかった。この撤退は、横浜駅周辺の商業地図を激変させ、跡地利用と競争激化が今後の焦点となる。
横浜から「マルイ」の灯が消える日:マルイシティ横浜、61年の歴史に幕。ECの波に飲まれた都心型店舗の苦悩と商業地図の激変
横浜駅東口の顔として長年親しまれてきた「マルイシティ横浜」(スカイビル内)が、2026年2月末をもって閉店することが決まった。1965年に伊勢佐木町に丸井が初出店して以来、61年にわたり横浜市民のファッションと生活に寄り添ってきた歴史の一区切りとなる。
閉店の主因は業績不振とされているが、その背景には、EC(電子商取引)の普及という時代の大きな潮流が横たわっている。都心型大型店舗のあり方を問い直す今回の撤退は、単なる一企業の判断に留まらず、横浜駅周辺の商業勢力図に決定的な変化をもたらすだろう。長年愛されてきた店舗の終焉を惜しみつつ、その背景にある構造的な課題と、今後の横浜商業の行方を追う。
61年の歴史に幕引き、ECに敗れた都心型店舗の苦悩
マルイシティ横浜は、横浜駅東口の好立地を誇り、最盛期には255億円を誇った売上を、近年は124億円へと半減させていた。この急激な売上減少は、アパレル産業全体が直面する課題、すなわちインターネットを通じた購買行動へのシフトを象徴している。
丸井グループは、この流れに抗うべく様々な手を打ってきた。従来の「ニコル」「ビギ」「タケオキクチ」といったファッションテナントに加え、近年では「ポケモンセンターヨコハマ」や「駿河屋」「らしんばん」などのホビー・エンタメ系店舗を積極的に誘致し、多角的な集客を図った。しかし、この業態転換戦略も、顧客が求める「利便性」や「価格」においてECが優位に立つ時代の波を覆すには至らなかった。
今回の閉店は、単に一つの商業施設が閉じるという局所的な問題ではない。ECとの共存を強いられる現代において、リアル店舗が提供すべき付加価値や役割が、従来の「物販」だけでは成り立たなくなった現状を、明確に浮き彫りにしていると言える。長年、若者文化の発信地として機能してきた「マルイ」ブランドの都心型店舗が、時代とのミスマッチによってその歴史を閉じることは、多くの流通関係者に重い問いを投げかけている。
横浜駅東口、激変する商業地図
マルイシティ横浜の閉店がもたらす影響は、横浜駅東口エリアの集客力に直結する。同施設は、駅直結という利便性を武器に、ファッションからホビーまで幅広い需要を満たしてきた主要な商業拠点だったからだ。閉店は、駅東口の活気に大きな陰を落とすことが懸念される。
閉店後、特に注目されるのが、顧客の流動先である。駅周辺には、そごう横浜店、高島屋、ジョイナスといった大型商業施設がひしめき合っている。これらの施設は、マルイシティの顧客を取り込むべく、新たな戦略を迫られることになるだろう。
特に、マルイシティが誘致に力を入れていたホビーやエンタメ系の需要は、周辺施設にとって魅力的なターゲットとなる。例えば、ポケモンセンターなどの大型テナントの動向は、今後の横浜駅周辺の商業地図を占う上での焦点の一つだ。
他施設は、単なる商品の陳列に留まらず、体験型イベントの強化、飲食・サービスの拡充など、リアル店舗ならではの「訪問理由」をいかに多様化させるかが、今後の競争の鍵となる。この撤退により、長年にわたり築かれてきた横浜駅周辺の買い物動線は大きく変化し、商業施設間の競争は一層激しさを増すことが予想される。
「丸井」の灯火は戸塚へ、一等地の行方
この閉店により、横浜市内で丸井グループの店舗として残るのは「戸塚モディ」のみとなる。これは、都心部の大型百貨店型店舗から、地域密着型やEC連携型の店舗へとシフトを進める丸井グループの経営戦略が、今回の撤退によって明確に示された形だ。
そして、横浜駅東口の一等地であるスカイビルに入居していたマルイシティ横浜の跡地利用は、最も関心を集めるテーマだ。現時点(2025年11月)で、跡地利用や大規模な再開発計画は公式には発表されていない。しかし、その立地を鑑みれば、大規模な商業施設への転換や、オフィス・複合施設としての再開発の可能性は極めて高いと見られている。
長年「マルイ」として愛された場所が、今後どのような姿に変わるのか。それは、今後の横浜の商業構造を占う試金石となるだろう。時代の変化と競争の激化の中、親しまれてきた店舗が姿を消すのは寂しい限りだが、この歴史の終焉が、横浜という都市の新たな進化の始まりとなることを期待したい。