俳優・勝呂誉さん死去、85歳。映画『下町の太陽』や『怪奇大作戦』で昭和を彩った名二枚目
ニュース要約: 俳優の勝呂誉さんが2026年1月23日、肺がんのため85歳で逝去しました。映画『下町の太陽』で倍賞千恵子さんと「サニーカップル」として人気を博し、特撮ドラマ『怪奇大作戦』やクイズ番組でも活躍。端正なルックスと誠実な演技で日本のエンタメ界を支えた、昭和を代表する知性派スターの足跡を振り返ります。
【評伝】昭和の光と影を体現した二枚目、勝呂誉さん逝去 「下町の高度成長」を国民的スターとして歩む
昭和の映画黄金期からテレビ黎明期、そして舞台へと、日本のエンターテインメント界を60年以上にわたって支え続けた俳優、勝呂誉(すぐろ・ほまれ、本名同じ)さんが2026年1月23日午後4時、肺がんのため東京都内の病院で死去した。85歳だった。兵庫県芦屋市出身。所属事務所の松竹芸能が明らかにした。
端正な顔立ちと誠実な演技で、高度経済成長期の日本に爽やかな風を吹き込んだ名優の突然の訃報に、芸能界のみならず多くのファンから悲しみの声が寄せられている。
■「サニーカップル」として一世を風靡
勝呂誉さんは1940年、芦屋に生まれた。俳優座で演技の基礎を叩き込んだ後、1961年にTBSドラマ『青年の樹』で主演デビュー。その知的なルックスと実直なキャラクターは瞬く間に茶の間の心をつかみ、一躍スターダムにのし上がった。
特筆すべきは、1960年代の松竹映画における活躍だ。1963年の映画『下町の太陽』では、倍賞千恵子の相手役を務め、二人は「サニーカップル」の愛称で国民的な人気を博した。泥臭くなりがちな下町の青春群像劇の中で、勝呂さんが放つ清潔感あふれる光は、明日への希望を信じる当時の日本人にとって、まさに「太陽」のような存在であった。
その活躍は国内に留まらず、1965年には日米合作映画『勇者のみ』に出演。伝説的スター、フランク・シナトラと共演するなど、早くから国際的な視野を持つ俳優としても知られていた。
■「怪奇大作戦」からクイズ界のヒーローへ
1960年代後半、勝呂さんは活動の場をテレビへと広げる。円谷プロ制作の特撮ドラマ『怪奇大作戦』(1968年)での三沢京助役は、今なお特撮ファンの間で語り継がれる当たり役となった。科学捜査で奇怪な事件に挑むプロフェッショナルな姿は、子供たちの憧れの的となった。
また、勝呂さんの多才さを物語るのが、伝説のクイズ番組『クイズタイムショック』での伝説的な記録だ。圧倒的な知識量と冷静な判断力で11回連続出場を果たし、2回のパーフェクト達成、さらに57人連続勝ち抜きという驚異的な記録を樹立。俳優という枠を超え、「知性派タレント」としての地位を不動のものにした。
■舞台で見せたベテランの矜持
中盤以降のキャリアでは、舞台俳優としての重厚さを増していった。新宿コマ劇場での『エノケンロッパ物語』や、御園座での『東海道日本晴れ』など、数多くの舞台に立ち、観客に直接その演技を届けた。また、歌手としても「銀座浪漫」などの楽曲を発表。甘い歌声でファンを魅了し、ディナーショーも精力的にこなした。
晩年もその意欲は衰えず、2023年には映画『電エースカオス』にゲスト出演。大阪のホテル「プラザオーサカ」のチーフアドバイザーを務めるなど、地域文化への貢献にも尽力していた。
■惜しまれる「永遠の青年」の旅立ち
2026年に入り、体調を崩して入院生活を送っていたという。一部では活動継続を望む声から「死亡説はデマ」との情報も錯綜したが、松竹芸能からの公式な訃報により、昭和を彩った巨星の落日が確定した。
勝呂さんが演じた役柄の多くには、どこか凜とした「正義感」と、人間に対する「優しさ」が共通して流れていた。SNS上では「ほまれくんの笑顔に癒やされた」「昭和の本当の二枚目だった」と、世代を超えたファンからの追悼メッセージが溢れている。
葬儀は近親者のみで営まれ、後日「お別れの会」が開かれる予定だ。
映画に、テレビに、そして舞台に。勝呂誉という俳優が刻んだ足跡は、日本のエンターテインメント史における「良心」そのものであった。私たちは、スクリーンの中で眩しく笑う「下町の太陽」の姿を、決して忘れることはないだろう。(文・共同ニュース編集部)
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