嵐山光三郎氏が83歳で逝去:「軽薄体」と「昭和の知性」再評価の波
ニュース要約: 文筆家・エッセイストの嵐山光三郎氏が83歳で逝去。氏が確立した「昭和軽薄体」のエッセイは、食、旅、歴史をポップに解体し、時代を画した。現在、代表作が再注目されており、特にSNSやデジタルアーカイブを通じて若年層に「昭和の知性」として再発見されるなど、世代を超えた再評価の波が広がっている。
「軽薄体」の旗手、現代に蘇る知性 ―― 嵐山光三郎氏の死と広がる再評価の波
食、旅、歴史をポップに解体 83年の生涯が残した文化的遺産
文筆家でエッセイストの嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)氏が、去る2025年11月14日、肺炎のため83歳で逝去した。昭和から平成にかけて、独自の視点と軽妙な文体で時代を切り取ってきた氏の突然の訃報は、読者や文化人に深い衝撃を与えている。その死去に伴い、氏の膨大な著作群、特に『素人庖丁記』や『悪党芭蕉』といった代表作が再び注目を集め、書店では追悼コーナーが設けられている。特筆すべきは、インターネット上のSNSや動画配信を通じて、氏の「昭和の知性」としての側面が若年層に「再発見」され、世代を超えた再評価の波が広がっている点だ。
Ⅰ. 「昭和軽薄体」が切り開いたエッセイの新境地
1942年生まれの嵐山光三郎氏は、まず編集者としてキャリアをスタートさせた。文化系雑誌『太陽』や『別冊太陽』の編集長を務め、日本の雑誌文化の発展に大きく貢献した経験は、後の氏のエッセイストとしての活動、特に多角的な文化への鋭い関心を支える土台となった。
氏が世に知られるようになったのは、雑誌「宝島」連載の「チューサン階級の友」など、1980年代に隆盛したエッセイブームの中である。氏の文体は、カタカナやアルファベットを多用し、ユーモアと批評精神を巧みに織り交ぜた洒脱なもので、後に「昭和軽薄体」と称された。この独特のスタイルは、従来の堅苦しい文化論や文学論を一変させ、幅広い読者層に知的なエンターテイメントを提供し、エッセイ界に新風を吹き込んだ。
嵐山光三郎氏の著作は、食、旅、歴史、文学と多岐にわたる。特に食に関するエッセイ『素人庖丁記』(1988年講談社エッセイ賞受賞)では、単なる料理の技術や薀蓄に留まらず、食を通じた人生観や文化批評を展開し、現代の知的エッセイの先駆けともなった。氏は単なる文化の紹介者ではなく、常に新しい文化的価値観や楽しみ方を提示し続けた、影響力の大きい文筆家であった。また、母校である國學院大學の講師を務めるなど、文化の伝承と教育面でも影響力を持っていた。
Ⅱ. 歴史的人物の再解釈と紀行文学の深み
氏の功績の中でも、歴史上の人物や古典文学者を現代の視点で再評価した時代小説や評伝は、文学界で特に高い評価を得ている。代表的な作品として、松尾芭蕉を題材にした『芭蕉の誘惑』(2000年JTB紀行文学大賞)、そして芭蕉の人間的な側面を深く掘り下げた『悪党芭蕉』(2006年泉鏡花文学賞、2007年読売文学賞)が挙げられる。これらの著作は、従来の伝記の枠を超え、文人の生き様や時代背景をポップかつ深遠に描き出し、歴史と現代をつなぐ架け橋となった。
また、紀行文においても、嵐山光三郎氏は独自の哲学を持っていた。『日本百名山』に代表される旅の著作群は、単なる名所旧跡の紹介にとどまらない。彼は、温泉や地ビール、地域の食文化といった風土に根ざした要素を深く掘り下げ、読者に「旅すること」の本質的価値、すなわち地域固有の文化や歴史、生活に触れることの意義を問い直した。これは、現代の地域文化の再発見や地域理解にも重要な示唆を与えている。最新刊『影の日本史にせまる: 西行から芭蕉へ』が逝去前年の5月に刊行されたことは、83歳まで衰えることのなかった氏の探求心と創作意欲を象徴している。
Ⅲ. デジタル時代に蘇る「昭和の知性」
嵐山光三郎氏の再評価の波は、従来の文学ファンに留まらない。氏が1980年代から90年代にかけて出演していた『笑っていいとも!増刊号』や『クイズ地球まるかじり』といったテレビ番組の過去映像が、YouTubeやアーカイブで公開されたことで、若年層が氏の存在を「再発見」している。
当時、「知性派タレント」として親しまれた氏のユーモアと深い知見に満ちた発言は、SNS上で「昭和の知性と現代の感性が融合している」と拡散され、X(旧Twitter)やInstagramで大きな話題となっている。特に料理好きの若者の間で、『週刊現代』に連載されていた「素人庖丁記」などの料理エッセイが「料理を通じた知的エッセイ」として再評価され、氏の書籍が若者向けメディアで取り上げられるケースも増加している。
これは、デジタルアーカイブ化が進む現代において、良質な過去の文化コンテンツが世代を超えて共有される好例と言える。嵐山光三郎氏の死は惜しまれるが、その文化的遺産は今、新たな読者層を獲得し、彼の独特の視点と文体は、今後も日本の文化論、文学論の中で重要な位置を占め続けるだろう。