御巣鷹山 JAL123便事故から40年:風化させぬ「安全の教訓」と未来への継承
ニュース要約: 1985年のJAL123便事故から40年。御巣鷹山では慰霊登山が増加し、記憶の風化防止と教訓の継承が喫緊の課題となっている。遺族とJAL元社員は「恩讐を超えた共創」を開始。JALは、事故の教訓を「組織の記憶」として安全推進体制を強化し、二度と過ちを繰り返さない誓いを次世代に伝えている。
御巣鷹山に問う安全の40年:風化を超え、未来へ継承されるべき教訓
2025年12月7日 日本経済新聞/共同通信社
1985年8月12日、群馬県上野村の御巣鷹山の尾根に墜落した日本航空123便(JAL123便)事故は、犠牲者520名という戦後日本最大の航空機事故として、日本社会に深い傷痕を残した。そして2025年、この未曾有の悲劇から40年という大きな節目を迎えた。
この40年という歳月は、遺族の高齢化、関係者の引退が進む中で、「事故の記憶の風化防止」と「安全の教訓の次世代への継承」が喫緊の課題であることを改めて突きつけている。
40年目の慰霊登山と「恩讐を超えた」共創
2025年8月12日、事故発生時刻である18時56分に合わせ、墜落現場近くの「慰霊の園」では、厳粛な追悼慰霊式が執り行われた。犠牲者の数と同じ520本のろうそくが灯され、参列者は静かに黙祷を捧げた。
特筆すべきは、この節目に際し、慰霊登山に参加した遺族関係者が増加傾向にあることだ。この年、御巣鷹の尾根への慰霊登山には82家族283人が参加し、近年では最多級の規模となった。遺族たちは、険しい山道を登り、愛する人の墓標に手を合わせることで、「あの日」の記憶を語り継ぐ責務を再確認している。
さらに、事故から40年を経て、遺族と日本航空(JAL)の元社員(OB)の間では、「恩讐を超えた関係」が静かに構築されつつある。彼らは共同で御巣鷹の尾根の清掃や登山道の整備などのボランティア活動を行っている。これは、単なる追悼に留まらず、「未来の安全のために、過去の教訓を共有する」という、和解と共創の意識の表れとして注目されている。
JALの誓い:「組織の記憶」への転換
事故の直接原因は、1978年の損傷事故後の不適切な修理に起因する圧力隔壁の破壊であった。事故調査報告書は、整備点検の不備と、それを看過した企業体質の問題を厳しく指摘している。
この教訓を踏まえ、JALの鳥取社長は40周年の追悼式典で、「事故を知る社員がいなくなっても、安全への取り組みは変わらない」と固く誓った。これは、事故の記憶を「個人の記憶」から「組織の記憶」へと昇華させる強い決意を示すものだ。
JALは現在、安全推進本部の強化、安全統括管理者の設置、そして何よりも「再発防止策のモニタリング不足」という過去の反省に基づき、外部監査や第三者評価を重視した安全体制を構築している。また、AIやデータ分析を活用した予知保全技術の導入も進め、ヒューマンエラーを防ぐための多層的な対策を講じている。
事故調査への疑問と真相への問いかけ
40周年を迎えるにあたり、事故当時の日航技術担当取締役が保管していた「取り調べの内容や事故関係資料のファイル」が公にされたことは、新たな議論を呼んでいる。この資料は、「事故調査が警察・検察の捜査をミスリードした」とする視点を示唆しており、刑事責任や事故の背景に関する議論が再燃している。
ノンフィクション作家の柳田邦男氏は、40年が経過してもなお、「科学技術の粋を集めたジェット旅客機が、なぜ大惨事を引き起こしたのか」という問いを社会に投げかけ続けている。技術の限界、組織の意思決定プロセス、そして安全文化の欠如という複合的な要因が絡み合った構造的な問題こそが、この悲劇の核心である。
また、事故後の救助活動においても、現場特定に時間を要し、救難隊の到着が翌朝となった事実が、当時の過酷な状況と対応の難しさを物語っている。この教訓は、緊急時の危機管理体制の強化と、遺族の心のケアの重要性を改めて浮き彫りにした。
御巣鷹山が次世代へ伝えるもの
現在、地元上野村や関係団体は、御巣鷹の尾根を単なる「慰霊の場」としてだけでなく、「安全と命の大切さを学ぶ場」として位置づける取り組みを強化している。記録誌やドキュメンタリー映像、デジタルアーカイブを活用し、事故を直接知らない世代への記憶の世代交代を図っている。
40年という時間の経過は、悲しみを薄れさせるかもしれないが、教訓の重さを失わせてはならない。御巣鷹山は今も、私たちに「安全とは何か」「命の尊厳とは何か」を問い続けている。この悲劇を乗り越え、得られた教訓を組織や社会の隅々まで浸透させ、二度と同じ過ちを繰り返さないという誓いこそが、犠牲者への最大の追悼となる。