11月1日は各地で首長選挙の投開票が行われ、茅ヶ崎市長選では現職の佐藤光氏が新人3人を破って3選を果たしました[1]。埼玉・三郷市長選では県議の美田むねあき氏が初当選し[8]、東京都議補選の千代田区選挙区では無所属出馬の林則行氏が8人の新人による混戦を制しました[44]。
競馬の天皇賞(秋)は4番人気ダノンデサイルが大外から差し切ってG1通算3勝目。1、2番人気が消える大波乱で3連単は29万7820円の高配当となりました[31][47]。エイシンフラッシュが東京競馬場でお披露目され、M・デムーロ騎手が天覧競馬の最敬礼を再現[24]。大相撲では41歳11カ月の玉鷲が昭和以降最高齢で幕内に再入幕し[10]、3日のJBCクラシックはアウトレンジを1番人気に大混戦で迎えます[11]。女子ゴルフのメイバンク選手権では山下美夢有が大会連覇で今季3勝目。岡本綾子さん以来38年ぶりの快挙で、優勝日は妹の誕生日と重なりました[13]。ボクシングではアラン・ピカソが無敗のマーティンに判定負けを喫しました[32]。
サッカーではレアル・マドリードがラシン・サンタンデールに快勝。ムバッペのPK先制や転売者への処分、PK判定をめぐる論争まで話題が広がりました[4][17][46]。リーグアンでは中村敬斗所属のリヨンがアンジェと対戦[7]。日本代表は森保一監督が負傷中の上田綺世の招集見送り方針を示し[14]、槙野智章監督の処分には「気持ちは分かる」と言及しました[49]。プレミアリーグはリヴァプール対アーセナルがアンフィールドで激突[48]。Bリーグの琉球対三遠は2連戦を1勝1敗で終え[18]、プロ野球では川島慶三氏のDeNAコーチ就任が発表され[27]、上原浩治氏が巨人コーチ打診に「お断りを」と冗談交じりに述べました[35]。
エンタメではTBS日曜劇場『VIVANT』が終盤へ。最終回は11月8日で直前特番も3時間超えとなり[20][25]、野崎の伏線回収が話題になったかと思えば[33]、ジャミーンの体内に核融合データのディスクが埋め込まれ、その事実をアディエルだけが知っていた展開が最終回の焦点となりました[50]。ベキの過去を描いた役所広司にはケイト・ブランシェットが共演を呼びかけています[15]。映画『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』は12月18日に日米同時公開[45]。「ぼっち・ざ・ろっく!」は新作劇場版の2027年公開と結束バンドのアジアツアー開催が決定しました[40]。ゲーム『プチプラネット』は12月4日に世界同時リリースを迎え[3]、東京ディズニーリゾートは1デーパスポートの最高価格が3年ぶりに1万2400円へ[43]。トヨタ・カローラツーリングは60周年記念仕様「ACTIVE SPORT」への反響が集中しました[42]。
芸能では新田真剣佑が「前田真剣佑」への改名を発表して反響を呼び[29]、元櫻坂46の渡邉理佐が約1年8カ月ぶりにインスタグラムを更新しました[34]。小柳ルミ子がデビュー曲160万枚を記録しながら当時の待遇格差を告白し[2]、上沼恵美子は脳梗塞から復帰したサンド伊達を祝福[37]。「出川一茂ホラン 大逆転の会」の枠移動も話題となりました[38]。ヒコロヒーの単独ライブを藤本美貴が絶賛し[26]、モナキはおヨネの別人級ビジュアルが反響を呼んでいます[19]。SUPER BEAVERは映画の有料配信が事前協議なしに始まっていた問題でお詫びを発表[5]。バナナマン・日村勇紀は休養から半年、復帰時期は未定のまま心配と待望の声が広がっています[6][16]。
社会面では戸田駅で人身事故が発生し、埼京線が夜間に運転を見合わせました[41]。奈良・橿原市では男性をボンネットに乗せたまま約2.2キロ走行した79歳の女が殺人未遂容疑で逮捕され[39]、苫小牧市では飲酒状態での暴行で会社員が現行犯逮捕されました[28]。吉本新喜劇の辻本茂雄さんが12月から当面休養すると表明[9]。二階堂ふみさんは沖縄戦を生き延びた祖母の記憶を語って反響を呼び[12]、豊臣秀吉の甥・秀次をめぐる「秀次事件」の歴史検索も増えました[30]。糸島市ではカキ小屋のシーズンが到来し[22]、国内唯一のラッコ飼育施設・鳥羽水族館も注目を集めました[21]。海外では米ICEをめぐる4万人超の情報流出やNYでの発砲事件が話題となり[36]、ウクライナ軍の無人艇攻撃にさらされるロシア黒海艦隊の消耗も報じられています[23]。
豊臣秀次はなぜ切腹に?秀吉が甥を粛清した「秀次事件」の謎
ニュース要約: 関白に就任しながら文禄4年に高野山で自害し、一族も三条河原で処刑された豊臣秀次。秀頼誕生説、乱行説、三成讒言説など諸説ある「秀次事件」の経緯と、近年の研究で見直される秀次像を整理する。
安土桃山時代の武将・豊臣秀次が再び注目を集めている。秀吉の後継者として関白に就任しながら、わずか4年で切腹に追い込まれ、一族もろとも処刑された「秀次事件」は、豊臣政権の栄枯盛衰を象徴する悲劇として知られる。現在放送中の大河ドラマをきっかけに豊臣家をめぐる関心が高まるなか、秀吉がなぜ甥を死に追いやったのか、その経緯と諸説に関心が寄せられている。
秀次は天正19年(1591年)12月に秀吉の後継者として関白に就任した。しかし文禄4年(1595年)7月、秀吉との不和や謀反の疑いを理由に高野山へ追放され、同年7月15日に自害した。歴史学者の渡邊大門氏によると、秀次と秀吉が不和になったとの風聞は『言経卿記』など当時の日記にも記されており、その背景には秀次が謀反を企んでいるという噂があったという。
なぜ秀次は粛清されたのか。これまで複数の説が語られてきた。第一に、1593年に秀吉に実子・秀頼が誕生したことで、後継者だった秀次の存在が邪魔になったとする説だ。第二に、『太かうさま軍記のうち』が伝える悪行・乱行説で、秀次が弓矢や鉄砲の稽古と称して人を射たり、辻斬りを行って「関白千人斬り」と称したなどとされるが、渡邊氏は「いずれの話も疑わしい」と指摘する。第三に、『川角太閤記』に見える石田三成の讒言説で、秀吉の側室になる予定だった菊亭晴季の娘を秀次が横取りしたことが秀吉の怒りを買ったとするものである。
秀次の死で事態は終わらなかった。同年8月2日、京都の三条河原では秀次の妻子や侍女ら30名以上が処刑された。秀次の一代記『太閤記』(小瀬甫庵著)によると、三条河原には二十間四方の堀が掘られ、秀次の首が置かれた。寵愛していた20人余りの女性たちだけでなく、幼い「若君」「姫君」も刑場に引き立てられ、その様子を見ていた見物人は涙を流したと記録されている。この非情な粛清は、秀頼の地位と豊臣政権の安定を最優先した秀吉の決断の結果であり、その生涯における最大の汚点とも評される。
一方、近年の歴史研究では、「殺生関白」と呼ばれる秀次の乱行譚は、事件を正当化するために後世に誇張されたものとみる説が有力になっている。『兼見卿記』などの同時代史料の分析が進んだ結果、秀次は政務に真面目に取り組む人物だったとする評価も登場しており、事件の実像をめぐる議論は今も続いている。
皮肉にも、秀吉が禍根を断ったはずの豊臣政権は、秀次一族の処刑で有能な人材と政治的求心力を失い、秀吉没後わずか15年で滅亡することになる。秀次事件は、後継者をめぐる権力闘争の帰結として、現代にも多くの教訓を残している。
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