2026年1月10日 国内外の主要ニュースまとめ
2026年が幕を開けて間もない10日、政治、経済、エンターテインメント、そしてスポーツ界まで、私たちの生活を取り巻く環境は激動の兆しを見せています。本日の注目すべき動きを編集部が独自の視点でまとめました。
政治・社会:高市政権の真価と、揺れる地方・国際情勢
発足から3カ月を迎えた高市早苗政権は、内閣支持率7割超という異例の高水準を維持しています[9][16]。高市首相は「政策優先」を掲げ、経済安保や防衛力強化を推進していますが、党内では防衛増税やスパイ防止法を巡る亀裂も表面化しています。2026年6月の通常国会末に向けた衆議院解散のタイミングや、維新・国民民主党との連携など、今後の政局から目が離せません[18][38]。
地方に目を向けると、秋田市では新スタジアム整備を巡り、沼谷市長とJリーグ側が「志」のあり方を問う異例の対立を見せています。人口減少社会における公費投入の是非は、全国の自治体が直面する普遍的な課題と言えるでしょう[28]。また、大田区で発生した同級生経営の会社における社長刺殺事件は、中小企業のガバナンスリスクという重い課題を突きつけました[15]。
国際社会では、インフレ率48%に達したイランで1979年革命を彷彿とさせる大規模デモが拡大し、現体制が正念場を迎えています[2]。また、ロシアが実戦投入した新型極超音速ミサイル「オレシュニク」の脅威が欧州の安全保障秩序を揺るがしており、予断を許さない状況が続いています[24]。
エンタメ・文化:節目の13年、そして新たな門出
芸能界では、二宮和也さんの初冠番組として13年親しまれてきた『ニノさん』が3月で終了することが判明し、SNSでは惜しむ声が広がっています[6]。一方で、俳優デビュー20周年の高良健吾さんは父としての喜びと共に復帰作で新境地を見せ[25]、不適切投稿による休止を経てプロレスへ転身したフワちゃんの本格始動も注目されています[13]。また、モデルのラブリ(白濱イズミ)さんは15年所属した事務所を離れ、第2子妊娠という人生の節目にフリーランスへの転身を発表しました[14]。
演劇界では、元宝塚の礼真琴さん主演予定だったミュージカル『バーレスク』が、主催者側の問題で全公演中止という異例の事態に[39]。また、道頓堀の象徴「大阪松竹座」が建物老朽化のため、100年を超える歴史に幕を下ろすことが決まり、文化拠点の消失を惜しむ声が上がっています[37]。
明るい話題では、バドミントン界のレジェンド・桃田賢斗選手が一般女性との結婚を発表し、新たな人生のステージへ歩み出しました[29]。一方、元グラビアアイドルの藤乃あおいさんが27歳の若さで希少がんにより逝去され、最期まで病と闘い続けた姿に多くの悲しみが寄せられています[40]。
ライフスタイル・トレンド:冬の楽しみと進化する日常
冬の楽しみとして、アーティゾン美術館ではモネ没後100年の特別展が控えており[23]、アニメファンの間では『炎炎ノ消防隊』完結編の放送開始に期待が高まっています[1]。また、鉄道ファンや沿線住民にとっては、京王電鉄の新型車両「2000系」導入が大きな関心事となっています[19]。
さらに、16日から登場するマクドナルドの「ポムポムプリン」ハッピーセットや[4]、全国で争奪戦となっている「パペットスンスン」の一番くじなど、キャラクターグッズ市場も活況を呈しています[20][26]。
厳しい寒さの中でも、それぞれの分野で新しい物語が動き出しています。明日もまた、時代を映し出すニュースをお届けします。
希少がん「横紋筋肉腫」と闘った藤乃あおいさん、27歳で逝去――2年間の壮絶な闘病と最後のメッセージ
ニュース要約: 元グラビアアイドルの藤乃あおいさんが、希少がん「副咽頭間隙腫瘍の横紋筋肉腫」との約2年にわたる闘病の末、27歳の若さで逝去しました。2023年の公表以来、副作用や合併症に苦しみながらも病状を率直に発信し続け、多くの人々に勇気を与えました。2025年末に引退を発表した直後の悲報に、ファンや業界からはその早すぎる死を悼む声が寄せられています。
希少がんと闘い続けた藤乃あおいさん、27歳で逝去――「副咽頭間隙腫瘍」公表から2年の闘病記録
グラビアアイドルとして活躍していた藤乃あおいさんが、2026年1月5日に27歳の若さで亡くなったことが、1月9日に親族によって公式SNSで明らかにされた。藤乃さんは2023年に希少がん「副咽頭間隙腫瘍の横紋筋肉腫」を公表し、約2年にわたって治療と闘病を続けてきた。その間、病状や治療の経過を率直に語り、同じ病と闘う人々やファンに勇気を与え続けた彼女の足跡を振り返る。
突然の診断、9割が良性のはずが「悪性」
藤乃さんの闘病は2022年末に始まった。生検の結果、顔面や頚部の深部にできる「副咽頭間隙腫瘍」と診断された。この腫瘍は約9割が良性とされるが、藤乃さんは残り1割の悪性、すなわち「横紋筋肉腫」という希少ながんだった。
当時24歳。医師からは「腫瘍が大きすぎて窒息死するかもしれない」とも告げられたという。2023年4月、藤乃さんは自らの病状を公表し、芸能活動を休止して治療に専念することを決断した。同年1月末から抗がん剤と放射線による治療が始まり、年末まで約1年にわたる入院生活を余儀なくされた。
体重9キロ減、脱毛、感染症――壮絶な治療の副作用
藤乃さんは治療中の経過を、複数のインタビューで詳細に語っている。強力な抗がん剤と放射線治療により、体重は45キロから36キロまで激減。髪は「ごっそり抜け」、味覚はほとんど失われ、首から下の肌が黒ずみ、口内炎がひどく口の中がデコボコになるなど、外見にも大きな変化が表れた。
さらに2023年8月頃には、点滴用の長期留置カテーテル(ピック)から菌が入り感染症を発症。高熱、血尿、顔や足の激しいむくみに苦しんだ。処方された抗生剤が合わず腎臓障害を起こすなど、合併症にも見舞われた。入院生活で筋力と体力が著しく低下し、「10分歩いて帰るとすぐ寝込む」ほどだったと本人は振り返っている。
文春オンラインなどのインタビューで、藤乃さんは「心も身体もボロボロ」と当時の状態を表現し、うつ状態に近い落ち込みが続いたことも明かしている。それでも「応援してくれるファンがいたから、戻ってこようと思えた」と、前を向き続けた。
一時復帰も束の間、再び悪化へ
2023年末に抗がん剤治療を終了した藤乃さんだったが、完治ではなく「腫瘍が残った状態」での経過観察となった。2カ月に1度のMRI検査、半年に1度のPET検査を受けながら、2024年8月には約1年7カ月ぶりにグラビア活動への復帰を果たした。
しかし、復帰後の状況は厳しかった。2025年9月発売の『週刊プレイボーイ』でのインタビューでは、「がん細胞が残っている」ことを公表。完全寛解ではなく、再発リスクを抱えた状態であることを明らかにした。同年6月の検診では「がんの大きさが元に戻った」ことが判明し、増大の可能性を考慮して、6月末で撮影やイベントを終了することを決断した。
2025年7月1日、藤乃さんは自身のデビュー日に、同年12月31日をもって芸能活動から引退することを発表した。「現在の体調では、いつどのように状態が悪化するかわからない不安な状態が続いており、この先も同じように活動を続けていくのが難しくなってしまうと感じました」と、その理由を説明している。
最後のメッセージ――「全てにおいて悪化していく一方」
2025年12月31日、大みそかに藤乃さんは公式SNSで引退を正式に発表した。その長文のメッセージには、当時の病状が率直に綴られていた。
「今の私の状態的には、嘘でも『大丈夫』や『元気』と言える状態では全くありません」
「7月に地元に帰ってからは、ほぼ体調のいい日はなく、ずっと体調が悪いまま。全てにおいて悪化していく一方で、本当にいつ何が起きてもおかしくない。ギリギリな身体との戦いを日々送っております」
「正直このような形で引退の運びになったことは、めちゃくちゃに悔しいです」と無念さを吐露しながらも、「ここまで一緒に歩んでくれたファンや関係者へのお礼」を真っ先に伝えた。配信などで「別れの挨拶」をしたかったが、体調がそれを許さなかったことへの悔しさもにじませていた。
そして2026年1月5日、藤乃さんは東京から戻った石川県の実家で、家族に見守られながら静かに息を引き取った。1月9日、母親名義で公式SNSに投稿された訃報は、シンプルながらも深い哀しみを伝えるものだった。
「藤乃あおいは闘病生活を送っていましたが、1月5日に天命を全うしました。生前の際は皆様に本当にお世話になりました。有難う御座いました」
ファンと業界から寄せられた追悼の声
訃報が伝えられると、SNS上には多数の追悼コメントが寄せられた。「まだ信じられない」「言葉が出ない」という喪失感を表す声、「たくさんの元気と勇気をもらいました」「笑顔をありがとう」「ゆっくり休んでください」という感謝とねぎらいの言葉が溢れた。
藤乃さんが病気を公表してからは、治療経過の報告に対して「絶対よくなる」「無理しないで」「待ってるから」と長期にわたって励ましのメッセージが送られ続けていた。引退発表時には「大丈夫と言えない正直さを尊重したい」「生きていてくれるだけでいい」「芸能界を離れても幸せでいてほしい」と、命と生活を第一に考えてほしいというトーンのコメントが多数を占めた。
グラビア業界の関係者からも、撮影時の礼儀正しさや現場での真面目さ、明るさといった人柄に触れながら追悼する声が上がった。取材を行ったメディアは、「24歳で悪性の希少がんが発覚」「医師から窒息死のリスクも告げられていた」といった経緯を振り返りつつ、最後まで前向きに語ろうとしていた姿勢を称えている。
希少がんへの理解を広げた存在
「副咽頭間隙腫瘍」「横紋筋肉腫」という聞き慣れない病名をきっかけに、「希少がんをもっと知ってほしい」という声も広がった。藤乃さんは自身の経験を隠すことなく語り、同じ病気で苦しむ人々や若い世代を励ます存在となった。
グラビアアイドルとして華やかなキャリアを歩んでいた藤乃さんが、病気という試練に直面しながらも、その経験を通じて多くの人に勇気を与え続けた。その姿は、27年という短い生涯の中で、確かに多くの人の心に刻まれた。
芸能活動引退から1カ月余り。「正直このような形で引退の運びになったことは、めちゃくちゃに悔しい」という言葉が今も胸に響く。藤乃あおいさんのご冥福を心よりお祈りする。