元幕内力士・戦闘竜さん死去、56歳。肺疾患で急逝「相撲は強い」と格闘技界で奮闘
ニュース要約: 元幕内力士で総合格闘家としても活躍した戦闘竜(本名ヘンリー・アームストロング・ミラー)さんが1月29日、肺の難病のため56歳で死去しました。大相撲引退後はPRIDEやHEATに参戦し、「相撲は強いんだよ!」という名言とともに相撲出身格闘家の意地を見せました。引退後はビジネスマンとして活躍していましたが、病魔に襲われ、多くのファンに惜しまれながらその生涯を閉じました。
元幕内力士・戦闘竜さん死去 肺疾患で56歳、格闘技転向後も「相撲は強い」と奮闘
東京都内の病院で1月29日夜、元大相撲幕内力士で総合格闘家としても活躍した戦闘竜(せんとりゅう、本名ヘンリー・アームストロング・ミラー)さんが、肺の難病のため死去した。56歳だった。関係者が30日、明らかにした。
戦闘竜さんは1969年7月16日、米国ミズーリ州セントルイスで生まれた。アメリカンフットボールとアマチュアレスリングで鍛えた恵まれた体格を武器に、1988年9月場所で友綱部屋から初土俵を踏んだ。身長175センチ、体重114キロのストライカー体型で、相撲界では貴重な外国出身力士として期待を集めた。
幕内在位は3場所。最高位は前頭12枚目まで昇進し、通算成績は351勝253敗77休、勝率5割8分1厘を記録した。幕内では19勝26敗と苦戦を強いられたものの、15年にわたる力士生活で培った相撲技術は、後の格闘技人生で大きな財産となった。2003年11月場所を最後に幕下で引退した。
格闘技への転身と「相撲最強説」への挑戦
相撲引退後の2004年、戦闘竜さんは総合格闘技(MMA)に転向した。当時、1992年の元横綱北尾の敗北や、2003年末の元横綱曙のキックボクシング参戦により、「相撲最強説」は既に崩壊しつつあった。相撲出身者への期待が低下する中での転身だったが、戦闘竜さんは新たな挑戦に果敢に立ち向かった。
デビュー戦は2004年4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004開幕戦。身長218センチのジャイアント・シルバにチキンウィングアームロックで一本負けを喫し、厳しいスタートとなった。しかし同年10月14日、マル・"ザ・ツイン・タイガー"戦でKO勝ちを挙げると、リング上で「相撲は強いんだよ!」とマイクアピール。試合前に「曙よりも先に勝つ」と宣言していたこの勝利は、苦戦を強いられていた相撲出身格闘家の中で一筋の光明となった。
パンクラスでは6戦1勝5敗という成績だったが、2006年8月27日の横浜文化体育館での小椋誠志戦では、1ラウンド1分37秒、チョークスリーパーでギブアップ勝ちという鮮やかな一本勝ちを収めている。
HEATでの奮闘と引退試合
2009年には、HEAT9準決勝で野地竜太にKO勝ちを収めるなど、ヘビー級王座を目指して奮闘した。同年7月のHEAT10決勝ではクリスチアーノ上西とノーコンテスト、9月のHEAT11再戦では延長ラウンドでTKO負けを喫し、王座獲得の夢は叶わなかった。
2010年3月7日のSRC12では中尾"KISS"芳広にパウンドTKO負け。キックボクシングにも挑戦し、サバイバー2010年12月25日の元力士対決などに出場したが、目立った成績は残せなかった。総合格闘技とキックボクシングを合わせた通算成績は6勝16敗とされている。
2013年8月25日、DEEP 63 IMPACTでの中村和裕戦が最後の試合となった。パンチラッシュによるKO負けで格闘技人生に幕を下ろした戦闘竜さんだったが、「唯一相撲のポテンシャルを感じさせてくれた」存在として、格闘技ファンの記憶に刻まれることとなった。
引退後の人生と闘病
格闘技引退後は、元妻の実家があるタイの工場で勤務し、2018年まで従事した。その後再婚し、タイに本社を置く食品製造会社の日本営業部で活躍していた。異国の地で培った人脈と経験を活かし、ビジネスマンとしての第二の人生を歩んでいた。
晩年は肺の難病を患い、病状が悪化。2026年1月29日夜、東京都内の病院で家族に看取られながら静かに息を引き取った。力士として、格闘家として、そしてビジネスマンとして、常に新たな挑戦を続けた56年の生涯だった。
相撲界と格闘技界の架け橋として、「相撲は強いんだよ!」という言葉とともに戦い続けた戦闘竜さんの功績は、両界において長く語り継がれるだろう。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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