【評伝】PL学園「黄金世代」の絆を繋いだ捕手、今久留主成幸氏を悼む――58歳の早すぎる別れ
ニュース要約: PL学園の「黄金世代」として桑田真澄、清原和博らと共に1985年の甲子園優勝を経験し、横浜大洋や西武で捕手として活躍した今久留主成幸氏が58歳で急逝。プロでは勝負強い打撃や献身的なリードで信頼を集め、引退後も指導者として野球振興に尽力しました。球界から惜しまれるその誠実な人柄と功績を振り返ります。
【評伝】PL学園「黄金世代」の絆を繋いだ捕手、今久留主成幸氏を悼む――58歳の早すぎる別れ
2026年2月4日、野球界に悲報が駆け巡った。かつて横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)や西武ライオンズで捕手として活躍した、今久留主成幸(いまくるす・なりゆき)氏が、1月29日に神奈川県川崎市内の病院で死去していたことが分かった。58歳という、あまりにも早い旅立ちだった。
今久留主という稀少な姓を持つ彼は、日本野球史において最も輝かしい時代の一つである「PL学園・KKコンビ」の同期生として、その名を刻んだ人物である。
「黄金世代」の陰の功労者
1967年、大阪府に生まれた今久留主成幸氏は、少年時代からその才能を現した。摂津リトルシニア時代には、後に宿命のライバルであり盟友となる清原和博氏を擁する岸和田リトルを破り、全日本選手権で優勝を果たしている。
名門・PL学園高校に進学後は、桑田真澄、清原和博らとともにプレー。1985年、PL学園が夏に全国制覇を成し遂げた際、彼は控え捕手としてチームを支えた。スター選手が揃う「黄金世代」において、献身的に投手を支える今久留主氏の姿勢は、指導者やチームメイトから厚い信頼を寄せられていたという。
その後、明治大学を経て1989年のドラフト4位で横浜大洋ホエールズに入団。プロの世界へと足を踏み入れた。
プロでの苦闘と「サヨナラ打」の記憶
プロ入り後の今久留主氏は、決して平坦な道を歩んだわけではなかった。当時の大洋・横浜には谷繁元信(後に中日)ら実力派捕手がひしめいており、出場機会を掴むのは容易ではなかった。
しかし、ファンの記憶に強く残っている試合がある。1991年9月7日の対阪神タイガース戦だ。9回裏、劇的な逆転サヨナラ2点適時打を放ち、お立ち台に上がった。華々しいスター街道ではなくとも、ここぞという場面で結果を残す勝負強さと、地道に準備を怠らないプロ意識。それが「捕手・今久留主」の真骨頂だった。
1995年からは西武ライオンズへ移籍。肘の手術という苦境を乗り越え、ベテランの域に達してもなお、若手投手の教育係やブルペンを支える役割を全うした。通算成績こそ23試合の出場にとどまったが、彼が球界に残した功績は数字だけでは測れない。
指導者として、そして突然の訃報
引退後、今久留主成幸氏は古巣の横浜でスカウトを務めたほか、独立リーグ・信濃グランセローズのGMや社会人野球のコーチなどを歴任した。近年は「ツネイシブルーパイレーツ」の統括アドバイザーや企業の代表取締役を務めるなど、野球振興とビジネスの両面で精力的に活動していた。
関係者によれば、今久留主氏は現役時代から変わらぬ誠実な人柄で、多くの教え子たちから慕われていたという。それだけに、2026年1月29日の急逝は、球界に大きな衝撃を与えた。
西武球団が訃報を発表した2月4日、インターネット上やSNSでは、同期の清原氏や桑田氏との絆を懐かしむ声とともに、早すぎる死を悼む書き込みが相次いだ。「今久留主さんという名前を聞くと、あの強かったPLを思い出す」「地味だったが、良い捕手だった」――。ファン一人ひとりの記憶の中に、彼のひたむきな姿は今も生き続けている。
稀少な姓に込められた誇り
今久留主という名字は、全国でも100人強しかいない非常に珍しい名のひとつだ。そのルーツは鹿児島県にあり、親戚筋には戦後のプロ野球を支えた今久留主淳、功の兄弟も名を連ねる、まさに「野球一族」の系譜であった。
派手なパフォーマンスを好まず、常に裏方として、あるいは指導者として野球を愛し抜いた今久留主成幸氏。葬儀は近親者のみで静かに執り行われたという。かつての聖地・甲子園や横浜スタジアムで見せたあの鋭い眼差しは、次世代の野球人たちへと語り継がれていくだろう。
PL学園で共に汗を流した仲間たちが還暦を目前に控える中、一足早く天へと昇った名捕手。彼の遺した一振りと、若手育成に捧げた情熱を、我々は忘れてはならない。
(敬称略)
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