名古屋駅の象徴が消える日。名鉄百貨店・近鉄パッセが閉店、再開発の行方と街の記憶
ニュース要約: 2026年2月28日、名古屋駅の顔として親しまれた名鉄百貨店本店と近鉄パッセが営業を終了しました。71年と28年の歴史に幕を閉じ、名駅エリアは巨大再開発プロジェクトの渦中にあります。建設資材高騰による計画の停滞や消費行動の変化など、課題が山積する中で、中部の玄関口がどのように生まれ変わるのか。消えゆく街の記憶と、不透明な再開発の現状を追います。
【記者の眼】名古屋駅の「顔」が消える日――名鉄百貨店・近鉄パッセ閉店、再開発の迷走と街の記憶
2026年2月28日午後7時、名古屋駅の象徴として長年親しまれてきた二つの巨大商業施設が、同時にその歴史に幕を下ろした。名鉄百貨店本店と、若者文化の発信地であった近鉄パッセだ。
昭和から平成、そして令和へと激動の時代を駆け抜けた両店舗の営業終了は、単なる一商業施設の閉店に留まらない。名古屋駅周辺(名駅エリア)の再開発という巨大プロジェクトの「影」と、変わりゆく都市の姿を浮き彫りにしている。
惜別、71年と28年の歴史が刻んだ終止符
最終日となった28日、名鉄百貨店本店の前には、朝から別れを惜しむ多くの市民が詰めかけた。同店は1954年の開業以来、71年にわたって「名駅の顔」として営業を続けてきた。午後7時15分から行われた閉店セレモニーでは、詰めかけた群衆を前に社長が感謝の言葉を述べ、ゆっくりとシャッターが降りると、周囲からは大きな拍手と「ありがとう」の声が沸き起こった。
一方、1998年の開業以来、若年層向けファッションの聖地として君臨した近鉄パッセも、午後7時にその28年の歴史を閉じた。地下1階の食品街から各階のファッションフロアまで、最後の大セールに多くの「パッセ世代」が訪れ、青春を共にした場所との別れを惜しんだ。
かつて名駅の地下を賑わせた、名鉄百貨店メンズ館と近鉄パッセを結ぶ連絡通路(1967年開設)も、3月1日をもってシャッターで封鎖される。名駅の地下動線は大きく様変わりし、平日の通勤客や買い物客は、これまでとは異なるルートを選択せざるを得なくなる。
期待と不安が入り混じる「再開発」の現在地
今回の名鉄百貨店 閉店および近鉄パッセの営業終了は、本来、名古屋鉄道、近鉄グループ、日本生命などが主導する「名古屋駅周辺一体再開発(名鉄名古屋駅地区再開発事業)」に向けたステップであった。しかし、その足元は大きく揺らいでいる。
当初の計画では、巨大な高層ビル群を建設し、名駅エリアの競争力を飛躍的に高めるはずだった。しかし、建設資材の高騰やゼネコンの辞退などが相次ぎ、計画は事実上の「暗礁に乗り上げた」状態にある。名鉄百貨店本店の跡地利用については、低層階や地下部分での「暫定的な商業施設」としての再開が計画されているものの、具体的なスケジュールは依然として未定だ。
名駅のシンボルである「ナナちゃん人形」は、幸いにも現在の場所に留まり、3月3日まで特別衣装で来店客を見守る予定だが、足元を支える商業施設が失われたことの喪失感は拭えない。
若年層ファッション市場の変容と、店舗の限界
近鉄パッセの閉店は、若年層の消費行動の変化も象徴している。かつては最先端のトレンドを求める若者が物理的な「店舗」に集まったが、現在はSNSを通じたEC(電子商取引)へのシフトが加速している。駅ビルという一等地にありながら、リアル店舗としての存続が困難になった背景には、再開発という外的要因だけでなく、市場環境の構造的な変化がある。
近鉄側は、閉店後のテナント移転や後継施設について具体的な言及を避けており、近鉄パッセが担ってきた「若者文化の拠点」としての機能が今後どのように継承されるのかは不透明だ。
「暫定営業」への期待と、求められるグランドデザイン
3月1日から、名鉄百貨店の外商事業は「名鉄生活創研」へと譲渡され、形式を変えて継続される。名鉄スカイパーキングも6月には再開予定だ。しかし、これらはあくまでビジネスやインフラを繋ぎ止めるための措置に過ぎない。
名古屋駅前を歩けば、閉鎖されたシャッターと、再開発を待つ空洞化した街並みが目に入る。リニア中央新幹線の開業を見据え、中部の玄関口として誇れる街をどう創り上げるのか。立ち止まってしまった再開発計画をどう立て直すのか。
名鉄百貨店と近鉄パッセ。二つの巨星が消えた後の名古屋駅前は、新たな時代のビジョンを模索する、長く静かな夜を迎えることになる。地元経済界と市民の双方が納得できる「次の一手」が、今こそ問われている。
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