蟻戸一永、大けがを乗り越えミラノ五輪13位。不屈の「山の子」が示した執念と次代への希望
ニュース要約: ミラノ・コルティナ冬季五輪スピードスケート男子マススタートで、初出場の蟻戸一永が13位と健闘。4年前の選手生命を脅かす大けがを克服し、夢の舞台に立った不屈の物語を詳報します。メダルには届かなかったものの、世界と渡り合った執念の滑りと、次大会への決意を語ったレース後の声、地元・中標津で培われた強さの原点に迫ります。
【ミラノ発=共同】氷上に刻んだ不屈の足跡――。ミラノ・コルティナ冬季五輪は21日、スピードスケート男子マススタートの決勝が行われ、初出場の蟻戸一永(23)=ウェルネット=は13位に終わった。4年前の絶望的な大けがを乗り越え、つかみ取った夢の舞台。メダルには届かなかったものの、中標津が生んだ「山の子」の執念が、世界の強豪と渡り合う姿を見せた。
激闘のマススタート、展開を読み切れず13位
男子マススタート。22歳の若きエース、佐々木翔夢(10位)と共に決勝のリンクに立った蟻戸一永は、冷静にレースを運んでいた。準決勝では絶妙なポジショニングで中間ポイントを獲得し、8位で危なげなく決勝進出を決めていた。
しかし、決勝は一筋縄ではいかなかった。中盤、オランダの名手ヨリト・ベルフスマが勝負に出る「大逃げ」を敢行。集団がこの動きに翻弄される中、蟻戸は後方での待機を余儀なくされた。
「逃げる瞬間は分かっていた。でも、そこについていく勇気と脚力が足りなかった」。レース後、蟻戸は悔しさを滲ませながら振り返った。終盤に追い上げを見せたものの、結果は13位。金メダルを手にしたベルフスマらトップ集団との距離を痛感する結果となった。だが、その表情にはどこか晴れやかなものもあった。1500メートルでの26位(1分47秒45)を含め、完走した事実そのものが、彼にとっては一つの勝利だったからだ。
「出られないと思っていた」4年前のどん底から
蟻戸がここまで歩んできた道のりは、平坦ではなかった。ジュニア時代から頭角を現し、2019年の全日本ジュニア選手権1500メートルと5000メートルで二冠を達成。2023年のワールドユニバーシティゲームズでは長距離二種目で銅メダルを獲得するなど、次代の長距離界を担う存在として嘱望されてきた。
しかし、2022年北京五輪を前に、選手生命を脅かすほどの大けがに見舞われた。一時はスケート靴を履くことさえ困難な状況に陥り、前回の五輪はテレビで眺めることしかできなかった。
「4年前は、もう一度オリンピックを目指せるなんて思ってもいなかった。この舞台に立てたこと。それだけで、自分を褒めてあげたい気持ちもある」。地元の北海道中標津町で「恵まれない環境から這い上がる強さ」を培った蟻戸。怪我からのリハビリ期間は、自身の滑りを見つめ直す時間でもあった。所属するウェルネットの支援を受け、ナショナル強化選手として再び這い上がったその不屈の精神は、日本スケート界でも高く評価されている。
次代へ繋ぐ、「山の子」の挑戦
今大会、蟻戸はチームパシュート(団体追い抜き)でも日本チームの主軸として出場。7、8位決定戦まで戦い抜き、長距離ランナーとしての粘り強さを発揮した。持久力と戦術眼が問われるマススタートにおいて、23歳の蟻戸が決勝進出を果たした意義は大きい。
「差は感じたけれど、チャンスは十分にある種目だと確信した。今回の悔しさを糧に、次こそは入魂の滑りを見せたい」。
課題として挙げた1500メートルのスピードアップと、集団の中での「展開を読む覚悟」。これらをクリアすれば、4年後のフランス・アルプス五輪(2030年)では、メダルの最有力候補として再び氷上に立つはずだ。
氷上のチェスとも呼ばれるマススタートの難しさと、大けがを克服したアスリートとしての誇り。ミラノの風に吹かれながら、蟻戸一永の物語は、まだ始まったばかりだ。
蟻戸一永(ありと・もとなが) 2002年3月18日生まれ、23歳。北海道中標津町出身。白樺学園高を経てウェルネット株式会社所属。ジュニア時代から長距離種目で頭角を現し、2020年ユース五輪マススタート金メダリスト。粘り強い滑りと勝負強さが持ち味。175センチ、75キロ。
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