【DeNA】三嶋一輝が引退セレモニー、難病を乗り越えた13年間の軌跡と不屈の精神
ニュース要約: 横浜DeNAベイスターズの三嶋一輝投手が2026年3月、13年間の現役生活に幕を閉じました。国指定の難病「黄色靭帯骨化症」を克服し、マウンドへ帰還した不屈の姿は多くのファンに勇気を与えました。戦力外通告を経て横浜での引退を決断した背番号17。セレモニーでは感謝の言葉と共に、栄光と挫折を乗り越えた晴れやかな表情でスタジアムを後にしました。
【不屈の右腕、横浜に別れ】DeNA・三嶋一輝、13年間の現役生活に幕 難病を越えファンに届けた「勇気の軌跡」
【横浜】初春の穏やかな陽光が降り注ぐ横浜スタジアム。2026年3月14日、一人の刑務が終わりを告げた。横浜DeNAベイスターズの三嶋一輝投手が、オープン戦(対福岡ソフトバンクホークス)終了後に行われた引退セレモニーに臨んだ。
2013年の入団から13年。先発として、セットアッパーとして、そして守護神として。三嶋がマウンドで見せた気迫あふれる投球は、常にベイスターズファンの心を揺さぶり続けてきた。通算成績や記録以上に、彼が残した「不屈の精神」は、球史に刻まれるべきものだろう。
■難病「黄色靭帯骨化症」との壮絶な闘い
三嶋一輝という投手を語る上で、避けては通れないのが黄色靭帯骨化症との闘いだ。2022年、脊髄を圧迫し下半身のしびれや脱力を引き起こすこの国指定の難病を発症した際、多くの人が「復帰は困難」と目した。しかし、三嶋は諦めなかった。
世界初とも言われる革新的な手術を受け、過酷なリハビリに耐え抜いた。今永昇太(現カブス)を通じて山本由伸(現ドジャース)に意見を仰ぐなど、最新の理論を取り入れながら、一時は150キロを超える直球を取り戻すまでになった。この「完全復活」への執念は、同じ病に苦しむ阪神の湯浅京己投手ら、多くの後輩たちに勇気を与えた。
「普通ならもういいだろうと思うところでも、三嶋さんは最後までもがいていた」。関係者が語るその姿は、プロ野球選手としてのプライドそのものだった。
■決断の背景と「横浜への愛」
2026年1月17日、三嶋は現役引退を正式に発表した。背景には、苦い現実があった。2025年シーズン、一軍での登板は6試合、防御率10.80。かつての圧倒的な力に陰りが見え、球団からは戦力外通告を受けた。
NPB他球団からのオファーを待つ選択肢もあったが、三嶋は自ら区切りをつけた。「最後までもがき、生きている実感を求めて努力した」という本人の言葉通り、やりきった末の決断だった。2025年度の推定年俸は前年の1億2000万円から大幅減となる6500万円。厳しい評価を受け入れながらも、最後まで横浜のユニフォームで抗い続けた。
セレモニーが行われたこの日、横浜スタジアムには「ありがとう三嶋」のボードを掲げるファンの姿が目立った。「BAYSTORE」で発売された引退記念グッズは早々に手に取られ、マウンドに立つ三嶋の最後の勇姿を多くのファンが目に焼き付けた。
■「幸せな13年間」——後輩たちへ託すマウンド
セレモニーの挨拶で、三嶋は晴れやかな表情を見せた。「みんなが優しく背中を押してくれた。本当に愛されていたんだと感じる13年間でした」。吉井祥博氏とのクロストークでは、ファンへの感謝を語り尽くし、満面の笑みを浮かべた。
引退後は、これまでの経験を活かしたメディア活動や講演活動を中心に活動する予定だという。難病を乗り越えた経験、そして栄光と挫折の両方を知る三嶋の言葉は、今後野球界のみならず、多くの人々にとって道標となるだろう。
2013年ドラフト2位で入団し、暗黒期から常勝軍団へと変革を遂げるチームを支え続けた背番号17。三嶋一輝が去った後のブルペンは、彼が示した「投げ抜く覚悟」を継承する若手たちが守っていくことになる。
横浜の空の下、背番号17の物語は静かに幕を閉じた。しかし、彼が難病をねじ伏せてマウンドに戻ってきたあの瞬間の熱狂は、これからも横浜スタジアムのどこかに残り続けるに違いない。
(文・共同通信/スポーツ担当記者)
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