川崎フロンターレの黄金期を支えた車屋紳太郎が引退:12年の忠誠に幕
ニュース要約: J1川崎フロンターレは17日、DF車屋紳太郎選手(33)が今季限りで引退すると発表した。車屋選手は12年間フロンターレ一筋でプレーし、「ワン・クラブ・マン」としてクラブの黄金時代を築いた功労者。J1優勝4回、天皇杯2回など計10タイトル獲得に貢献し、クラブの歴史に名を刻んだ。
12年の忠誠と黄金時代の終焉:川崎のレジェンド、車屋紳太郎がユニフォームを脱ぐ
偉大な「ワン・クラブ・マン」の決断
2025年11月17日、Jリーグに衝撃が走った。川崎フロンターレ一筋で12シーズンを戦い抜いたディフェンダー、車屋紳太郎選手(33)が、今季限りでの現役引退を発表したのである。
車屋選手は、2015年に筑波大学から川崎に加入して以来、「ワン・クラブ・マン」としての美学を貫き通した。彼のプロキャリアの全てがフロンターレの歴史と重なり、その足跡はクラブの黄金時代そのものだと言える。J1リーグ4回、ルヴァンカップ1回、天皇杯2回など、合計10ものタイトル獲得に不可欠な貢献を果たした功労者の旅立ちは、多くのサポーターの胸に万感の思いを去来させている。
黄金期を築いた「左サイドの支配者」
車屋選手の最大の功績は、フロンターレが「常勝軍団」へと変貌を遂げる過程で、守備の要、そして攻撃の起点として絶対的な存在感を放ち続けた点にある。
J1通算250試合に出場し、正確なクロスと粘り強い対人守備で左サイドを支配した彼は、単なるディフェンダーにとどまらなかった。特に、チームが初めてJ1の頂点に立った2017年から2018年にかけては、2年連続でJリーグベストイレブンに選出されるなど、その実力はリーグ屈指であった。当時の川崎の流麗なサッカーは、車屋選手の高い戦術理解度と、アグレッシブな攻撃参加によって支えられていたと言っても過言ではない。
近年は怪我や若手の台頭により出場機会が減少傾向にあったものの、その存在感はチームの精神的支柱であり続けた。引退発表時のコメントには、プロとしての苦悩が滲み出ていた。
「ここ数シーズン、ピッチでなかなかチームの力になれず苦しい時間が長く続きました。どこかで区切りをつけなければいけない――その思いが強くなり、この度引退という決断に至りました」
しかし、苦しい状況下でも「最後はフロンターレで終わりたい」という強い意志を貫いたことは、彼がクラブに対して抱く深い愛情と、ファンへの誠意を示している。今年2月時点での市場価値が4,500万円と評価されていた事実を鑑みれば、他クラブへ移籍し現役を続行するという選択肢も十分にありえたはずだ。それでも、キャリアの全てを捧げたクラブで幕引きを選んだ彼の決断は、美しく、フロンターレの歴史に永遠に残るだろう。
日本代表の世代交代と残された足跡
車屋選手は日本代表としても4試合に出場している。2017年頃に代表招集を受けた経験は、彼のキャリアのハイライトの一つだ。
しかし、今回の引退は、サムライブルーの世代交代の波を象徴する出来事でもある。33歳という年齢での引退は、2026年W杯予選に向けて若手や新戦力の台頭を進める日本代表にとっては、ベテランの役割が一つ終焉を迎えたことを意味する。彼の豊富な経験と技術は代表チームでも貴重であったが、今後は伊藤洋輝選手や他の若手DF陣が中心となり、ディフェンスラインの再構築が進むことになるだろう。
車屋選手の引退は、川崎フロンターレにとって大きな節目となる。近年、中村憲剛氏などレジェンドたちが次々と現役を退く中、チームは新たな時代へと移行しつつある。車屋選手が残した、勝利への飽くなき探求心、そしてタイトル獲得のために尽力する姿勢は、今後入団する若手選手たちに受け継がれていくに違いない。
12年間、クラブのアイデンティティを体現し続けた車屋紳太郎選手。その献身的なプレーと偉大な功績に、心からの感謝と、今後の人生におけるさらなる活躍を祈念したい。彼の残した足跡は、フロンターレサポーターの記憶の中で、決して色褪せることはないだろう。