八田與一の哲学と遺産：百年インフラ「烏山頭水庫」が示す台日友誼と現代の課題

ニュース要約: 日本の土木技師、八田與一が設計した烏山頭水庫と嘉南大圳は、完成から約100年経った今も台湾農業を支え続けている。高い耐久性と「農民の福祉」を重視した水利哲学は、現代の気候変動下における水資源管理の指針として見直されている。時を超えたインフラは、台日友誼の揺るぎない象徴でもある。

【深度報道】「百年インフラ」が語る遺産：八田與一の哲学と現代台湾の課題

— 烏山頭水庫と嘉南大圳、気候変動下で試される持続性 —

（台北支局 2025年12月1日）

20世紀初頭、日本の土木技師、八田與一（はったよいち）が設計・指揮した台湾南部の大規模灌漑システム、烏山頭水庫（ダム）と嘉南大圳は、完成から約100年が経過した現在も、台湾最大級の穀倉地帯である嘉南平野の農業基盤を支え続けている。総延長1万6,000キロメートルに及ぶ水路網は、かつて不毛の地であったこの平野を豊かな沃野に変貌させた。八田技師の遺産は、単なる巨大インフラとしてだけでなく、台日友誼の象徴、そして現代の気候変動時代における水資源管理の指針として、改めてその価値が見直されている。

第一章：100年を超えて稼働する技術と耐久性

1930年に完成した烏山頭水庫は、総貯水量が約1億5,000万トンを誇り、改造なしで今なお現役で使用されている。ダム建設にあたり、八田技師は当時アジアでは前例のない「セミハイドロリックフィル工法」（半水力式土堰堤工法）を導入した。これは、高い耐震性と耐久性を実現する革新的な技術であり、その後の巨大地震にも耐え抜いた結果が、今日の持続的な稼働に繋がっている。

しかし、インフラの寿命が一般的に50年とされる中、100年を超える運用は技術的、管理的な挑戦を伴う。近年は、土砂の浚渫など継続的な維持管理が行われているものの、気候変動による渇水や豪雨の極端化、さらには施設の老朽化対応が喫緊の課題となっている。台湾農業の安定供給を支えるこの生命線に対して、台湾当局と地元農民は持続可能な運用を目指し、八田技師の設計思想を深く学び直している。

第二章：「農民の福祉」に捧げた水利哲学

八田與一の偉大さは、その技術力だけでなく、強固な水利哲学に基づいていた。彼は灌漑工事を「総督府や技術者のためではなく、農民の福祉のために」行うべきだと確信していた。東京大学時代の恩師から受けた「100年後も使える橋を造れ」という教えは、彼の生涯の指針となった。

嘉南平野の水不足を目の当たりにした八田技師は、限られた水資源を最大限に活用し、かつ公平に分配するための画期的な制度を考案した。それが、灌漑面積15万ヘクタールをカバーするための「3年輪作給水法」である。これは、農地を「米、サトウキビ、雑作」のサイクルで利用するよう割り当てるもので、一部の農民だけが豊かになることを避けるための、平等思想に基づいたシステムだった。彼は「私は決して、一人の農民にも、米を植えられない苦境に直面させない」と語ったとされる。

この哲学は、現代の治水戦略にも重要な示唆を与えている。気候変動によって水文循環が不安定化する中、台湾の治水対策は、短期的な利益を超えた「長期視野」の確保、そして水資源の「公平分配」をいかに制度化するかが問われている。八田技師が示したシステム全体を見通す総合的な計画性と、地域社会のニーズに合わせた柔軟な調適（適応）能力こそが、現代の課題解決の鍵となる。

第三章：時を超えた台日友誼の証

烏山頭水庫のほとりには、八田與一技師の銅像が設置されている。この銅像は、指揮官として高台に立つ威厳ある姿ではなく、作業服姿で水路を眺めながら思索にふける坐像である。これは、八田技師自身が「高台ではなく、農民に近い場所に」と望んだ結果であり、彼が土地と人民に寄せた深い敬愛の念を反映している。

この銅像は、単なる歴史上の人物の記念碑以上の意味を持つ。それは、日本の統治時代という複雑な歴史的背景を超え、台湾の人々が自発的に示した敬意と感謝の念、そして台日友誼の揺るぎない象徴となっている。過去に銅像が破壊される事件があった際も、日台双方の市民が協力して修復し、この絆の強さが改めて示された。

また、烏山頭水庫に隣接する八田與一記念園区には、当時技師たちが暮らした日式宿舎群が忠実に復元されている。この園区は、八田技師と妻・外代樹の物語、そして当時の生活を伝える歴史教育の場として機能し、多くの観光客を惹きつけている。特に日本からの訪問者にとっては、歴史的な技術交流と、人道的な貢献が台湾社会に深く根付いている事実を再認識する機会となっている。