2026年1月11日、連休中日の日本は、エンターテインメント界の明るい話題から、社会の深淵を覗かせる事件、そして予測不能な気象状況まで、実に多角的なニュースに包まれています。
まず注目を集めているのは、独自の存在感を放つ俳優たちの新たな挑戦です。NHK BSの人気シリーズ『京都人の密かな愉しみ Rouge 継承』では、国際的な評価も高い穂志もえかさんが連ドラ初主演を飾り、伝統と革新の間で揺れる京都の文化に体当たりで挑んでいます[1]。また、なにわ男子の大西流星さんもドラマ『横浜ネイバーズ』で「無職の若者」という、これまでのアイドル像を覆す役どころで新境地を開拓しています[10]。WEST.の藤井流星さんとTravis Japanの七五三掛龍也さんによる「のほほん」としたバディぶりも、撮影現場の温かいエピソードと共に話題を呼んでいます[14]。
音楽シーンでは、新たな才能の誕生とレジェンドの再評価が交錯しています。オーディションを経てちゃんみなさんのプロデュースでソロデビューを果たした「ふみの」さんが、生放送で涙の歌唱を披露し、多くの視聴者の心を打ちました[6]。SNSでは、Snow Manの佐久間大介さんとバナナマンの日村勇紀さんから生まれた造語「サクサクヒムヒム」が新たな推し文化の象徴としてトレンド入りしています[5]。その一方で、4Kリマスター放送を機に井上陽水さんの不変の魅力が再検証され、時代を超えた文学的な歌詞世界が若い世代にも波及しています[20]。
スポーツ界では、光と影が鮮明になりました。サッカー日本代表の上田綺世選手がオランダ・フェイエノールトで得点王を独走する圧倒的な活躍を見せ、日本代表のエースとしての地位を不動のものにしています[15]。また、U-23日本代表もアジアカップでUAEを3-0で下し、ロス五輪世代の勢いを感じさせています[19]。一方で、女子プロレス界ではスターダムの鹿島沙希選手が「疲れちゃった」と突如引退を表明[7]。さらに、かつて陸上のエリート選手だった女性がホスト依存の末に窃盗で逮捕されるというショッキングなニュースは、アスリートのセカンドキャリアという重い課題を突きつけました[2]。
社会的な関心事としては、昭和最大の未解決事件「三億円事件」が現代のAI技術等を用いて再検証され、当時の捜査の歪みが浮き彫りになっています[22]。教育現場では、栃木や大分で発生した暴行動画のSNS拡散事件が、デジタル時代のいじめの深刻さを露呈させています[3]。さらに、人気番組『キントレ』の終了発表にファンが衝撃を受けるなど、テレビ界も大きな転換期を迎えています[16][17]。
海外に目を向けると、ドイツのメルツ政権による大規模な投資と軍備増強への「大転換」が、今後のEUの行方を占う重要な局面として報じられています[24]。台北で開催されたゴールデンディスクアワードではJENNIEさんやStray Kidsが大賞に輝き、K-POPの世界的熱狂を改めて証明しました[9]。
最後に、列島を襲う厳しい気象と交通への影響に注意が必要です。強い冬型の気圧配置により、瀬戸大橋線が強風で計画運休し[8]、伊豆諸島には竜巻注意情報が出されるなど[26]、荒れた天気が続いています。東京湾アクアラインの通行止めや[11]、博多駅での人身事故による鹿児島本線の遅延も発生しており[27]、連休を過ごす方々には最新の交通情報と安全の確保が強く求められます。
八田與一と烏山頭ダム:台湾が護り続ける「嘉南大圳之父」の記憶と日台の絆
ニュース要約: 台湾最大の穀倉地帯を築いた日本人技師・八田與一。本記事では、烏山頭ダムに立つ彼の銅像を巡る破壊と修復の歴史、そして現在も続く慰霊祭を通じて、台湾社会が日本統治時代の遺産をいかに記憶し、日台交流の象徴として位置づけているかを詳述します。近代化の功罪を超え、今なお農業を支え続ける嘉南大圳が問いかける歴史的意義に迫ります。
八田與一銅像と烏山頭ダム──台湾社会が護り続けた「技師の記憶」
台南市 南部台湾の穀倉地帯、嘉南平原に静かに佇む烏山頭ダム。その堤の傍らには、作業服に編み上げ靴姿の男性が図面を広げて腰を下ろす銅像がある。「嘉南大圳之父」と呼ばれる日本人技師、八田與一(1886-1942)だ。毎年5月8日、この銅像の前には500人以上の参列者が集まり、献花と追悼の式典が行われる。台湾の農業部長、台南市長、そして遠く石川県金沢市から訪れる八田の故郷の関係者たち──日本統治時代に始まった水利事業が、なぜ80年以上経った今も台湾社会の記憶に刻まれ続けているのか。
「看天田」から台湾最大の穀倉へ
嘉南平原はかつて、雨が降れば洪水、日照りが続けば干ばつ、そして海からの塩害に苦しむ「看天田」──天候次第で収穫が左右される不安定な農地だった。年間降水量は豊富だが、その大半が梅雨と台風の時期に集中し、乾季には深刻な水不足に見舞われた。この地で農業を営む数十万の人々の暮らしは、常に自然災害の脅威にさらされていた。
1910年に台湾総督府の技師として来台した八田は、長年にわたり南部地域の水利調査に従事した。彼が構想したのは、官田渓の水を貯える巨大な貯水池と、そこから嘉南平原全域へ水を送る総延長約1万6000キロメートルに及ぶ灌漑・排水網だった。1920年に着工した烏山頭ダムは、当時としては東アジア最大級の湿式土堰堤。完成した嘉南大圳は、約15万ヘクタールの農地に安定した水を供給し、嘉南平原を台湾最大の穀倉地帯へと変貌させた。
完成後の統計によれば、年間の米と甘蔗の生産量は約8万3000トンに達し、受益農民は約60万人に上った。三年輪作制度の導入により、単位面積あたりの生産性も飛躍的に向上。かつて貧困に喘いでいた地域が、台湾農業の中核を担う豊かな土地へと生まれ変わったのである。
台湾人と日本人の名が並ぶ殉工碑
烏山頭ダムの建設は、134名の命を奪う過酷な工事でもあった。ダムの近くに立つ殉工碑には、工事中に亡くなった日本人と台湾人労働者の名前が、死亡日順に刻まれている。民族や出身地による区別はない。この碑を建立したのは、八田とともに働いた技師や労働者たちで結成された「交友会」だった。
1931年、嘉南大圳の完成を記念して、同じ交友会が八田の銅像を建立した。しかし、その銅像は戦時中の金属供出令により破壊される危機に直面する。水利会の関係者たちは、密かに銅像を隠し保護した。戦後、国民党政権が日本統治時代の記念物を撤去する方針を打ち出すと、銅像は再び倉庫の中へと姿を消した。
1981年、戒厳令がまだ続く時代に、銅像は現在の場所に再び設置された。台湾社会が自らの歴史を見つめ直し始めた時期と重なる。銅像は軍服でも背広でもなく、作業服に編み上げ靴という庶民的な姿で、現場に座り図面を見つめている。この姿こそが、八田自身が受け入れた唯一の条件だったという。支配者ではなく、現場と共にある技師──その記憶が、この銅像には込められている。
破壊と修復が示す社会の意志
2017年4月、烏山頭ダムに衝撃が走った。銅像の首がノコギリで切断され、頭部が持ち去られたのだ。嘉南水利会は「悪質な破壊行為」と強く非難し、当時の台南市長・頼清徳は5月8日の慰霊祭までの修復を指示した。
修復に名乗りを上げたのは、奇美実業の創業者・許文龍氏だった。奇美博物館の顧問と彫刻家が現地で被害状況を調査し、許氏が以前制作した半身像の頭部を接合できることが判明。わずか1週間程度で修復が完了した。民間企業家と文化機関が協力して、破壊された銅像を「再生」させたのである。
この事件は、八田與一という存在が台湾社会において単なる歴史上の人物ではなく、現在進行形の「記憶の闘争」の焦点であることを浮き彫りにした。植民地支配の遺産をどう評価するか、日本統治時代をどう記憶するか──銅像をめぐる破壊と保護の歴史は、台湾社会が自らのアイデンティティと向き合ってきた軌跡そのものだ。
日台の橋渡しとなる慰霊祭
毎年5月8日、八田の命日に合わせて開かれる追思紀念会には、台湾の政府高官、農業関係者、そして日本からも八田の故郷・金沢市の市長や遺族が参列する。2025年には、頼清徳総統が初めて総統として出席し、「八田與一は農地に水を引いただけでなく、台湾と日本の人々の心にも水を注いだ」とスピーチした。
農業部長の陳駿季氏は、「嘉南大圳は農地に水を供給するだけでなく、台日友好の橋渡しでもある」と述べ、現在の台湾農産品の対日輸出や農業協力の基盤として八田の功績を位置づけた。慰霊祭は、単なる歴史的追悼にとどまらず、現代の日台交流を象徴するイベントとして定着している。
日本台湾交流協会の泉裕泰代表は、初めて烏山頭ダムを訪れた際、台湾と日本の関係を「離別多時的兄弟(長く離れていた兄弟)」と表現した。植民地支配という歴史を持ちながらも、台湾社会が八田のような個人を前向きに記憶し続けていることは、他の旧植民地とは異なる複雑な感情の表れだという。
近代化の光と影を映す銅像
八田與一紀念園区には、当時の技師たちが住んだ日本式宿舎が復元されている。八田宅の北側庭園には台湾島の形をした池があり、彼がこの池を眺めながら台湾全体の水利計画を構想したという逸話が残る。「無国籍大愛」──国境を超えた愛という言葉で、彼の技師としての姿勢が語られることが多い。
しかし、嘉南大圳は日本帝国の「農業台湾、工業日本」政策の一環でもあった。米と砂糖の増産は、植民地支配の経済基盤を強化する目的と切り離せない。八田の功績を称賛する声がある一方で、植民地統治の負の側面を覆い隠すという批判も存在する。2017年の銅像破壊事件は、そうした批判や反感の一つの表れと見ることもできる。
台湾社会は今、この複雑な歴史とどう向き合うのか。烏山頭ダムの銅像は、近代化の光と影、植民地支配と技術者の献身、そして日台交流の現在と未来を、静かに問いかけ続けている。嘉南大圳は今も15万ヘクタールの農地に水を供給し、台湾の「世界遺産潜力点」の一つに選ばれている。80年以上前に築かれたインフラが、現代もなお農業と社会を支え続けている事実が、この議論をさらに複雑にしている。
毎年5月8日、500人以上が集まる追思会。そこで語られるのは、単なる過去の美談ではない。台湾が自らの歴史をどう記憶し、どのような未来を築こうとしているのか──その問いへの、現在進行形の応答なのである。