【訃報】「借金王」安田忠夫さん急逝、62歳。バンナを破った世紀の大金星と波乱万丈の格闘人生
ニュース要約: 元新日本プロレスのIWGPヘビー級王者で、大相撲の元小結・孝乃富士としても活躍した安田忠夫さんが62歳で急逝しました。PRIDEでのジェロム・レ・バンナ戦での大金星や「借金王」と呼ばれたギャンブル依存症との闘いなど、光と影が交錯する波乱の人生を歩んだ格闘技界の風雲児の死に、多くのファンから惜しむ声が上がっています。
【訃報】「借金王」と呼ばれた不器用な拳、安田忠夫さん急逝――格闘技界を揺るがした“波乱万丈”の62年
【共同通信/運動部記者】
かつて大相撲の土俵を沸かせ、プロレスや総合格闘技の世界で「奇跡」と「波乱」を巻き起こした安田忠夫(やすだ・ただお)さんが2月8日、東京都内の自宅で死去していたことが分かった。62歳だった。新日本プロレスが10日、正式に発表した。
2月8日午前、自宅で倒れている安田さんを関係者が発見し、その場で死亡が確認された。死因については公表されていない。かつてのファンや関係者からは、早すぎる別れを惜しむ声が相次いでいる。
■「バンナに勝った男」が体現した光と影
安田さんの人生は、まさに漫画のような「光と影」の連続だった。1979年に九重部屋へ入門。大相撲時代は「孝乃富士」の四股名で小結まで上り詰め、幕内上位で活躍。廃業後の1993年、30歳という遅咲きで新日本プロレスへと門を叩いた。
192センチの恵まれた体躯を武器に、2001年にはアントニオ猪木氏の肝いりで総合格闘技へ参戦。同年3月の「PRIDE.13」で佐竹雅昭を判定で下すと、その年の大晦日「INOKI BOM-BA-YE 2001」で、当時K-1最強と目されていたジェロム・レ・バンナからギロチンチョーク(前腕チョーク)で一本勝ちを収めるという、世紀の大金星を挙げた。
リング上で当時幼かった娘を肩車し、不器用な笑顔を見せる安田さんの姿は、多くの人の涙を誘った。翌2002年には第30代IWGPヘビー級王座を戴冠し、プロレス界の頂点に登り詰めている。
■「ギャンブル依存症」と「借金王」の苦悩
しかし、栄光の裏側には、常にギャンブルという魔物が潜んでいた。安田さんは現役時代から競艇やパチンコにのめり込み、莫大な借金を抱えていたことで知られる。「借金王」の異名は単なるキャラクターではなく、家族離散や私生活の破綻を招いた過酷な現実であった。
2005年には素行不良を理由に新日本プロレスを解雇され、2011年の引退興行後も金銭トラブルによって予定されていたブラジル渡航をドタキャンするなど、世間を騒がせ続けた。引退後はYouTubeチャンネル「安田忠夫の人生劇場」を開設した時期もあったが、生活は安定せず、カンボジアのカジノ従業員や警備員、清掃業など職を転々とする日々を送っていた。
■生涯、勝負師であり続けた
近年、安田さんは周囲に「一日働いた給料をすべて競艇に賭けてしまう」「博打が辞められない」と赤裸々に語っていた。ギャンブル依存症との闘いに終止符を打つことは叶わなかったが、その飾らない、良くも悪くも正直すぎる生き方は、一部の熱狂的なファンから奇妙な敬愛を集め続けた。
2017年から2021年頃にかけては、YouTubeやSNSを通じて一時的に近況を発信していたものの、近年は目立った公の活動から遠ざかっていた。関係者によれば、最近は都内の警備会社に勤務し、静かに余生を過ごしていたという。
かつてリングの上で、最強の敵を相手に奇跡の一撃を放った男。その最期は、かつての激闘とは対照的に、冬の冷え込みが厳しい朝、静かなものだった。
アントニオ猪木氏が掲げた「一寸先はハプニング」を地で行く人生だった安田忠夫さん。格闘技ファンにとって、彼がバンナからタップを奪ったあの夜の熱狂は、これからも「昭和・平成の伝説」として語り継がれていくことだろう。
(文・共同通信ニュース)
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