【評伝】漫画家・評論家の飯田耕一郎氏を悼む:『COM』からニューウェーブまで駆け抜けた74年
ニュース要約: 漫画家、評論家、教育者として日本の漫画文化を支え続けた飯田耕一郎氏が74歳で急逝。手塚治虫の『COM』編集部出身で、『邪学者姫野命』などの代表作を持つ一方、後進の育成にも尽力しました。亡くなる直前までイベント参加や発信を続けた「現場主義」の生涯と、多方面にわたる功績を振り返り、その死を悼みます。
【評伝】漫画文化の伴走者、飯田耕一郎氏を悼む――編集者、作家、評論家として駆け抜けた74年
2026年2月25日、一人の多才な表現者が静かにこの世を去った。漫画家であり、漫画評論家としても知られた飯田耕一郎(いいだ・こういちろう)氏が、埼玉県所沢市の自宅で病気のため急逝した。74歳だった。
数日前まで「COMITIA155」などのイベントに精力的に顔を出し、SNSでも日常の何気ない風景を綴っていた氏の突然の訃報に、漫画界のみならずサブカルチャー全般のファンや関係者の間に深い悲しみと衝撃が広がっている。
■「COM」の熱気から生まれた多才なキャリア
飯田耕一郎氏は1951年、京都市左京区に生まれた。氏のキャリアは、日本の漫画史における重要な転換点と密接に結びついている。1969年、伝説的な漫画同人「奇人クラブ」への入会を皮切りに、手塚治虫が創刊した雑誌「COM」を擁する虫プロ商事へ入社。編集者としてキャリアをスタートさせた。
しかし、表現への情熱は編集の枠に留まらなかった。1972年、「COMコミックス」掲載の『けだるい時』で漫画家としてデビュー。その後、三流劇画の世界からニューウェーブ、さらには学習漫画や力士の伝記漫画に至るまで、驚くほど幅広いジャンルでその筆を振るった。
代表作『邪学者姫野命』シリーズ(徳間書店ほか)は、緻密な構成と怪奇・伝奇的な世界観が融合した傑作として、今なお根強い支持を集めている。氏は単なる「描き手」である以上に、漫画というメディアの可能性を常に客観視する「観察者」でもあった。
■教育者・評論家として示した「漫画への慈しみ」
飯田氏の功績は、自身の作品制作だけではない。漫画評論家として、また教育者として注いだ情熱は、次世代のクリエイターたちへの大きな遺産となっている。
秋草学園短期大学の講師や日本マンガ塾の講師を長年務め、技術のみならず「表現者としての心構え」を説いた。氏の教えを受けた教え子たちは数多い。また、音楽ライターである甥の吉本秀純氏や、手塚治虫氏の長女・手塚るみ子氏らとの親交も深く、業界の垣根を越えた「温かく、面倒見の良い先輩」として慕われていた。
手塚るみ子氏は自身のSNSで、「作家として評論家として、漫画文化の傍らに常にいらっしゃった」とその存在の大きさを回顧している。まさに、戦後漫画が成熟していく過程を内側から見守り、支え続けてきた伴走者であったと言えるだろう。
■最期まで現役を貫いた「現場主義」
驚くべきは、亡くなる直前まで衰えることのなかったその活力だ。2026年2月22日に開催された自主制作漫画即売会「COMITIA155」にも来場。翌23日には音楽レビューを執筆し、25日の夜までSNSで普段通りの発信を続けていた。その数時間後に訪れた別れは、あまりに不意打ちであった。
漫画、音楽、心理学。多方面に知的好奇心のアンテナを張り巡らせ、真摯に、かつ軽やかに文化を語り続けた飯田氏。氏が遺した膨大な著作と評論、そして教え子たちの活躍は、これからも日本の漫画文化の一部として息づいていくだろう。
葬儀は近親者のみで執り行われる。昭和、平成、令和と、ペン一本で時代を切り拓いてきた巨星が、その役目を終えて静かな眠りについた。
(2026年2月28日 執筆)
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