2026年3月11日、東日本大震災の発生から15年という節目を迎えました。日本各地で祈りが捧げられる中、スポーツやエンターテインメント、国際情勢など、私たちの社会は新たな未来へと力強く動き出しています。
復興から未来へ:3.11の記憶と新たな決意
震災から15年が経過した宮城県では、インフラ整備がほぼ完了し、復興は新たなフェーズに入りました[1]。女川や石巻では街並みの再生が進み、水産業のDX化も加速しています。一方で、被災者の高齢化や記憶の風化といった課題に抗うため、最新技術を用いた防災教育や次世代への伝承活動が続けられています[15]。北海道の札幌市でも、過去の地震によるブラックアウトの教訓を風化させないための防災意識が再確認されています[58]。
侍ジャパン、全勝でマイアミへ:WBC熱狂の渦
野球界では、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での侍ジャパンの快進撃が日本中を沸かせています。井端監督率いる日本代表は、チェコを9-0で圧倒[2]。大谷翔平選手や山本由伸選手らMLB勢と若手投手が融合した「史上最強の布陣」で1次ラウンドを4戦全勝の首位で突破しました[5][7]。
特にチェコ戦では、B'zの稲葉浩志氏が「タッチ」を熱唱し大観衆を鼓舞[52]。対戦したチェコ代表は、消防士や電気技師といった本業を持つ「社会人選抜」ながら、その清々しいスポーツマンシップで再び日本のファンの心を掴みました[55]。大谷選手から三振を奪ったエースのサトリア投手は、この日本戦を最後に現役を引退。東京ドームで華々しい「ラストダンス」を飾りました[61]。
一方、若き主砲・村上宗隆選手の行動が議論を呼ぶ一幕もありましたが[33]、周東佑京選手の激走や[34]、北山亘基投手が考案し大谷選手も賛同した「お茶立てポーズ」など、チームの結束は固まっています[39]。準々決勝の舞台は米マイアミへ。複雑な球数制限やタイブレーク制への対応が、連覇に向けた鍵となります[8][17]。
緊迫する国際情勢と経済の議論
明るい話題の裏で、国際情勢は緊迫の度を増しています。中東では、イランの弾道ミサイルがNATO加盟国トルコの領空を侵犯し、防空システムにより迎撃されるという極めて深刻な事態が発生しました[57]。また、改善傾向にある日韓関係の中にあっても、竹島の領有権問題は依然として両国間の火種として残っています[18]。
国内経済においては、衆院予算委員会で記録的な円安を「国益」とする高橋洋一氏と「国難」とする小幡績氏が激しい論争を展開[10]。また、新NISA導入から2年が経過し、無理な投資により家計が圧迫される「NISA貧乏」が社会問題化しつつある現状も浮き彫りになっています[32]。
変貌する都市とビジネスの潮流
各地で再開発が加速しています。川崎市では100年に一度と言われる大規模再開発が進み、過去最大の予算が計上されました[21][28][31]。東京都内の「晴海フラッグ」は入居率8割に達し、資産価値が分譲時の2倍に迫る一方で、学校教育の不足などの課題にも直面しています[51]。
ビジネス界では、外食大手コロワイドが「カフェ・ベローチェ」を運営するC-Unitedを約441億円で買収する方針を固め、業界の勢力図に大きな変化が生じようとしています[48]。吉野家は原材料高騰の中で並盛の価格を守りつつ、介護食など新事業への多角化を模索しています[59]。
芸能・スポーツ:新たな門出と挑戦
エンターテインメント界では、タレントのスザンヌさんが39歳で日本経済大学を卒業し、学士の学位を取得。「学び直し」の好例として称賛を集めています[47]。また、ENHYPENのメインボーカル・ヒスンさんの脱退とソロ転向[62]、タレントはなわさんの長男・元輝さんの全日本プロレス入門など、多くの「決断」が報じられました[9]。
格闘ゲームの世界では、両国国技館で開催された「カプコンカップ11」で翔選手が優勝。賞金100万ドル(約1.5億円)というeスポーツの新たな次元を切り拓きました[3]。
伝統を守る者、新たな世界へ飛び出す者、そしてかつての教訓を未来へ繋ごうとする者。2026年3月11日は、過去を悼みつつも、明日への確かな歩みを感じさせる一日となりました。
【評伝】漫画家・評論家の飯田耕一郎氏を悼む:『COM』からニューウェーブまで駆け抜けた74年
ニュース要約: 漫画家、評論家、教育者として日本の漫画文化を支え続けた飯田耕一郎氏が74歳で急逝。手塚治虫の『COM』編集部出身で、『邪学者姫野命』などの代表作を持つ一方、後進の育成にも尽力しました。亡くなる直前までイベント参加や発信を続けた「現場主義」の生涯と、多方面にわたる功績を振り返り、その死を悼みます。
【評伝】漫画文化の伴走者、飯田耕一郎氏を悼む――編集者、作家、評論家として駆け抜けた74年
2026年2月25日、一人の多才な表現者が静かにこの世を去った。漫画家であり、漫画評論家としても知られた飯田耕一郎(いいだ・こういちろう)氏が、埼玉県所沢市の自宅で病気のため急逝した。74歳だった。
数日前まで「COMITIA155」などのイベントに精力的に顔を出し、SNSでも日常の何気ない風景を綴っていた氏の突然の訃報に、漫画界のみならずサブカルチャー全般のファンや関係者の間に深い悲しみと衝撃が広がっている。
■「COM」の熱気から生まれた多才なキャリア
飯田耕一郎氏は1951年、京都市左京区に生まれた。氏のキャリアは、日本の漫画史における重要な転換点と密接に結びついている。1969年、伝説的な漫画同人「奇人クラブ」への入会を皮切りに、手塚治虫が創刊した雑誌「COM」を擁する虫プロ商事へ入社。編集者としてキャリアをスタートさせた。
しかし、表現への情熱は編集の枠に留まらなかった。1972年、「COMコミックス」掲載の『けだるい時』で漫画家としてデビュー。その後、三流劇画の世界からニューウェーブ、さらには学習漫画や力士の伝記漫画に至るまで、驚くほど幅広いジャンルでその筆を振るった。
代表作『邪学者姫野命』シリーズ(徳間書店ほか)は、緻密な構成と怪奇・伝奇的な世界観が融合した傑作として、今なお根強い支持を集めている。氏は単なる「描き手」である以上に、漫画というメディアの可能性を常に客観視する「観察者」でもあった。
■教育者・評論家として示した「漫画への慈しみ」
飯田氏の功績は、自身の作品制作だけではない。漫画評論家として、また教育者として注いだ情熱は、次世代のクリエイターたちへの大きな遺産となっている。
秋草学園短期大学の講師や日本マンガ塾の講師を長年務め、技術のみならず「表現者としての心構え」を説いた。氏の教えを受けた教え子たちは数多い。また、音楽ライターである甥の吉本秀純氏や、手塚治虫氏の長女・手塚るみ子氏らとの親交も深く、業界の垣根を越えた「温かく、面倒見の良い先輩」として慕われていた。
手塚るみ子氏は自身のSNSで、「作家として評論家として、漫画文化の傍らに常にいらっしゃった」とその存在の大きさを回顧している。まさに、戦後漫画が成熟していく過程を内側から見守り、支え続けてきた伴走者であったと言えるだろう。
■最期まで現役を貫いた「現場主義」
驚くべきは、亡くなる直前まで衰えることのなかったその活力だ。2026年2月22日に開催された自主制作漫画即売会「COMITIA155」にも来場。翌23日には音楽レビューを執筆し、25日の夜までSNSで普段通りの発信を続けていた。その数時間後に訪れた別れは、あまりに不意打ちであった。
漫画、音楽、心理学。多方面に知的好奇心のアンテナを張り巡らせ、真摯に、かつ軽やかに文化を語り続けた飯田氏。氏が遺した膨大な著作と評論、そして教え子たちの活躍は、これからも日本の漫画文化の一部として息づいていくだろう。
葬儀は近親者のみで執り行われる。昭和、平成、令和と、ペン一本で時代を切り拓いてきた巨星が、その役目を終えて静かな眠りについた。
(2026年2月28日 執筆)
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