【留萌本線がついに全線廃止】116年の歴史に幕、石狩沼田駅で惜別のラストラン
ニュース要約: JR北海道の留萌本線が2026年3月31日、116年にわたる運行を終え全線廃止となりました。かつて炭鉱や木材輸送で北海道を支えた名門路線の最終日、石狩沼田駅には多くのファンが集結。今後はバス等の代替交通へ移行し、駅舎の活用や線路跡地の観光資源化など、鉄道の記憶を未来へ繋ぐ新たな地域活性化の挑戦が始まります。
【深川・留萌】北の大地を116年にわたり支え続けた鉄路が、ついにその歴史に幕を下ろした。JR北海道の留萌本線(留萌線)は2026年3月31日、最終運行を終え、全線廃止となった。かつて石炭や木材輸送で日本の近代化を牽引した名門路線は、人口減少とモータリゼーションの荒波に抗えず、惜しまれながらも地図から消えることとなった。
惜別、名残雪の石狩沼田駅
最終日となった31日、沿線の石狩沼田駅には、最後を走り抜ける列車の姿を目に焼き付けようと、町民や全国から集まった多くの鉄道ファンが詰めかけた。
石狩沼田駅は1910年に開業。かつては札沼線との接続点として、また北空知地方の物流の要所として栄えた。この日、駅周辺は「名残雪」に薄っすらと覆われ、水田地帯を静かに進む一両編成のディーゼルカーを、多くの人々が静かに見守った。
「通学で毎日使っていました。なくなるのは仕方のないことかもしれませんが、やはり寂しさはこみ上げてきます」。地元の利用客は、感慨深げにホームを後にした。駅内では廃線を惜しむセレモニーも行われ、町を挙げて長年の感謝が伝えられた。
炭鉱と歩んだ116年の軌跡
JR留萌本線の歴史は、明治後期の1910年に深川―留萌間が開通したことに始まる。主要な目的は、周辺の炭鉱から産出される石炭や、豊かな森林から切り出される木材、そして日本海で獲れるニシンの輸送だった。
1970年代までは蒸気機関車が重厚な貨物列車を牽引し、まさに北海道の背骨を支える物流幹線として活況を呈した。1999年にはNHK連続テレビ小説「すずらん」の舞台(明日萌駅として恵比島駅が登場)となり、全国的な観光ブームも巻き起こした。
しかし、炭鉱の閉山や道路網の整備が進むにつれ、利用者は激減。2016年には留萌―増毛間、2023年には石狩沼田―留萌間が段階的に廃止され、最後の区間となった深川―石狩沼田間(14.4km)も、このほど代替交通の調整期間を経て、ついに全線廃止の時を迎えた。
廃止後の「足」の確保と課題
廃止を決断した背景には、厳しい経営状況がある。1日あたりの平均利用者数は200人を割り込み、年間2億円を超える赤字を計上していた。
2026年4月1日からは、完全にバスと乗合タクシーによる代替交通へと移行する。沼田町では、既存の路線バス「留萌旭川線」の活用に加え、町営バスの増便や新規ルートの設置により、通学・通院の足を確保する方針だ。通学定期を利用する高校生のために、主要駅跡地を経由する利便性の高い運行ダイヤを目指している。
しかし、これまで定時性に優れた鉄道に頼っていた住民にとって、自家用車への依存が強まることは避けられず、高齢者の移動手段の確保は今後の大きな課題として残る。
鉄路の記憶を未来へ
一方で、鉄道亡き後の「地域活性化」に向けた新たな動きも始まっている。
拠点となった石狩沼田駅の駅舎は、今後も町の公共施設としての役割を担い、地域の交流・にぎわい創出の場として存続させる方針だ。また、旧線路跡を活用した「線路市場」の整備や、サイクリングロードへの転換も検討されている。
沼田町地域おこし協力隊の関係者は、「形あるものはなくなりますが、116年の歴史をどう次の世代へ紡いでいくかが問われています」と語る。鉄道遺産としての魅力を観光資源に変え、通過型ではない「滞在型観光」のモデルとして再生できるか、空知・留萌エリアの新たな挑戦が始まった。
北海道の開拓精神と共に走った留萌本線。その警笛の音は消えても、地域を支え続けた1世紀以上の記憶は、この地に深く刻まれ続けていく。
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