【時代の眼】ALSの母が遺す“いのちの味”――エッセイ『もしもキッチンに立てたなら』が伝える愛と希望の記録
ニュース要約: 難病ALSと闘う料理人・はらだまさこさんの著書『もしもキッチンに立てたなら』が大きな感動を呼んでいます。自由を失いゆく体で、子供たちの未来のためにスマホで書き残した17品のレシピと家族への想いを綴った本作。日常の尊さと、料理を通じて「母の証」を繋ごうとする魂の記録は、困難に立ち向かう全ての人にエールを贈ります。
【時代の眼】「もしもキッチンに立てたなら」が問いかけるものの尊さ――難病ALSの母が遺す“いのちの味”
【東京】 2026年3月23日。桜の便りが届き始めた列島で、今、一冊の書籍が静かな、しかし確かな感動の渦を広げている。3月21日に発売されたエッセイ&レシピ集『もしもキッチンに立てたなら』(徳間書店刊)だ。著者は、喫茶店を営むシェフであり、4歳と12歳の二児の母でもある、はらだまさこさん。彼女を襲ったのは、体の自由が徐々に失われる難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)だった。
本作は、単なる闘病記ではない。キッチンに立つという、かつて当たり前だった日常を奪われた女性が、それでもなお「母の味」を子どもたちの未来へ繋ごうともがいた、魂の記録である。
「できない中のできること」を探して
はらださんの異変は2021年、次女の出産後に始まった。足の違和感から始まり、2023年6月に下された診断は「ALS」。根本的な治療法がいまだ確立されていない進行性の難病だ。昨日まで自在に包丁を握り、フライパンを振っていた手足が、言うことを聞かなくなる。料理人として、そして母として、その絶望は計り知れない。
しかし、はらださんは「沈黙」を選ばなかった。「もしも、もう一度キッチンに立てたなら」。その切実な願いを、彼女は「不自由な手でスマホにレシピを書き残す」という行動に変えた。病状が悪化し、入院を余儀なくされる過酷な状況下でも、執念で書き上げた17品のレシピ。そこには、看板メニューの「鉄板ナポリタン」や、子どもたちが大好きな「玉ねぎごろごろシュウマイ」、思い出の「タイのグリーンカレー」など、家族の絆を象徴する味が並ぶ。
料理がつなぐ「未来への希望」
本書の白眉は、詳細なレシピと共に綴られた家族への愛情だ。運動会のお弁当に詰められたエビフライやタコさんウインナー。それらは単なる献立ではなく、子どもたちの記憶に刻まれるべき「母の証」である。
「料理はただお腹を満たすだけではなく、心をそっと温めるもの」。はらださんのこの哲学は、病によって肉体的な自由を制限されたからこそ、より一層の輝きを放つ。自ら調理することは叶わなくても、味の記憶を言語化し、友人や家族の協力を得て再現するプロセスは、彼女にとっての「生きる希望」そのものとなった。
SNS上では、発売直後から大きな反響を呼んでいる。「キッチンに立てる幸せを再認識した」「涙でページがめくれない」といった声に加え、介護や育児に追われる世代からは、IHクッキングヒーターなどの最新家電がもたらす「ゆとり」と、はらださんの説く「手のひらの温もり」の対比について、深い洞察を寄せる投稿も目立つ。
社会への静かなる警鐘
一方で、本書は現代社会の「無関心」にも一石を投じている。病を告白した際の社会の反応について、はらださんは「沈黙」という言葉を使っている。難病患者が直面する、目に見えない壁。彼女は出版を通じて、その壁を打破しようとしているのだ。
出版直前には肺炎で入院するなど、現在も病との闘いは続いている。しかし、はらださんの視線は常に前を向いている。「完治は難しいが希望を捨てない」「広い世界が待っている」。その言葉は、閉塞感の漂う現代社会において、困難に立ち向かうすべての人へのエールとして響く。
『もしもキッチンに立てたなら』。このタイトルに込められた仮定の話は、読者にとって「今、目の前にある日常」がいかに奇跡的であるかを教えてくれる。台所から漂う湯気の向こう側に、これほどまでに深い愛があることを、私たちは忘れてはならない。
(経済部・文化担当 記者)
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